こんにちは。アマデウスの《とわへの愛》へようこそ。
たまには「時代を読んでみる」みたいなのも、いいかなと思いました。
民族が交流し、多様性が高まっています。
その分、自分のルーツやアイデンティティの面で
伝統文化、受け継いだものが見直されていくと思います。
新しい価値観に合わなくなったものは、違和感を持たれるようになりますから
意味を持たなくなった伝統は淘汰されていくのではないでしょうか。
伝統文化、民族の習俗などで大事にされていることは、“人の心”です。
後世に受け継がれた者達が路頭に迷うことのないよう、
人生訓や教訓が残されました。
ただ、現代では有効に機能しないものもあります。
例えば「人を見たら泥棒と思え」ということわざがあります。
この言葉を私は両親から口を酸っぱくするするほど言い聞かされました。
確かに、治安の悪かった昔は、そのくらいの気構えが必要だったかもしれません。
しかし、治安のよい現代で、会う人会う人皆泥棒と思って疑うのは
大変失礼なことですし、沢山の人が行き交う都会では、
精神を擦り減らすことにもなり、精神衛生上も良くありません。
そのまま、言い聞かされたことを教え守るよりは、
今は、田舎者が都会に出て行ってお上りになって
詐欺にでも遭わないように、という親心だったのだろうと
認識するに留めています。
人には持って生まれた個性がありますし、志向による変化もあります。
例えば、国際結婚が普通のことだと言える人もいますし、そうでない人もいます。
出身の地元で就職も結婚もして、十分な幸せを手に入れる人もいます。
自分の個性を知ることも大事ですが、志向性を知ることも大切だと思っています。
都会を夢見て、実際に都会へ出て行こうと努力するのか、
都会に憧れを持ちながらも、分をわきまえて自分の居場所を築いていくのか、
自分がどの程度の存在かは、自分で決めることができます。
ただ、その選択が自分に合うか、合っていないか、という問題があります。
実際に行動に移してみなければ、わからないこともありますが。
何でも行動してからでなければ、結果がわからないとなると
人生が幾つあっても足りません。
なので私はいつも、「居心地のよさ」を基準にしています。
もしもこうしたなら、心地よいか。
もしもそうしたなら、どう感じるか。
想像の中でシミュレーションして、感じてみます。
心地よいとか、楽しそうとか、幸せを感じられるなら、実行します。
できない時は、なんだかイヤな予感がしたり、イヤな気持ちになります。
「イヤだな」と感じるのは、自分のセンサーみたいなもので、
なるべく素直に反応した方がうまくいくようです。
反応しにくい「イヤな感じ」は、持ち帰って推敲してみると
自分にとっての大切なものが見えてきたります。
この「イヤだな」のセンサーが壊れてしまった状態が、
「自己嫌悪」というものです。
自己嫌悪に陥ると、周りに敵が増えていきます。
と言いますか、都合よく「敵」が現れてくれます。
そして本当は嫌っている自分の内面を他者に反映して、攻撃します。
治し方は、本当のことに気づくしかありません。
「ああ、こんなにも自分のことが嫌いだったんだ」と気づくことができれば、
そのまま自分を嫌い続けることも、止めることもできるようになります。
止めたいと思ったなら、「止める」と決めることです。
決めたら、変わります。
もしもそれでも変わることができなかったなら、
私にメッセージをください。
あなたを変えることはできませんが、
ヒントとなることなら、お伝えできるかもしれません。
あなたからのご連絡を、お待ちしています。