最後の・・・と言ってもいいかもしれません、トルコ民族音楽の大御所 Neşet Ertaş が 亡くなったのが 昨年の今日、9月25日でした. 昨年は、追悼の意味をこめて 伝記本や何10枚もの記念CDが出たり、追悼コンサートが 行われたりしました.
彼は 1938年、İç Anadolu の Kırşehir という町に 生まれました. Kırşehir 市がある Kırşehir 県には 髭の殿下こと三笠宮親王が 主導して設立された <アナトリア考古学研究所>が ありますから、日本人には ある意味 馴染みのある土地とも いえます.
こんな話を聞きました. 「日本からプリンスが クルシェヒルに 二度やってきた. 多分、Neşet Ertaş に会いにきたのだと思う. 最初に来たときは 連絡不行き届きで エルドアン首相が 出迎えるのが遅れ、プリンスは アンカラ空港の VIP ルームで 長いこと待たされた. これに懲りたんだろう、二度目のときは 外務当局に連絡せず、VIP ルームも 使わずに さっさと クルシェヒルに 行ってしまった.」 トルコ人にとって Kırşehir は どこにでもあるような小さな町で、有名なものといえば <Neşet Ertaş>ぐらいしかないので こんな誤解が生まれたんでしょう. 実際は Neşet Ertaş に 会いに来たのではなく、考古学研究所に 行かれたのだろうと思います.
彼の人生は 大きく 3つの時期に分けられます.
1. 生まれ故郷のクルシェヒルで 父親について 音楽を始めた時期.(1938~)
2. イスタンブルやアンカラで ラジオ出演するなどして 活躍した時期.(1960~)
3. 病気治療のため ドイツに移り住んだ時期.(1976~)
ただし、亡くなったのは トルコ、İzmir の Karabağlar でした. 今、Karabağlar には 彼の名を冠した公園が 作られ、彼の銅像が立てられています. Karabağlar では 今日も 追悼コンサートが あるようです.
彼のサズの演奏は 独特で ちょっと聞けば 彼の演奏であることがわかります. 弦の張り方から 特徴が あるようです. サズは 6本から 8本の弦が張られますが、一番普通なのは 7本です. 7本の場合は、弦を 低音側から 3本、2本、2本と セットにして 張りますが、低音側3本のうち 1本と 高音側2本のうち 1本は 普通 低音がよく出る巻弦が 使われます. Neşet は 中音弦にも 巻弦を 使うらしく、独特の音色がします.
サズは ギターと同じく 右手に持ったピック(tezene あるいは mızrap)で 弾きますが、Neşet は ピックを持った右手の 中指や薬指で サズの胴を 弦を弾くのと同時に叩いて パーカッシブな音を 出します.
これらは 必ずしも 彼が 発明したものでは ないと思いますが、彼のサズの特徴に なっています.
彼の演奏で 有名な曲には 以下のようなものがあります. もちろん ほんの一部です・・・. YouTube あたりで 検索してみてください.
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Mihriban
Neredesin Sen?
Hüdayda (Fidayda)
Tatlı Dile Doyulur Mu?
Yandı Bağrım Yandı
Haydar Haydar
Öldürme Beni
Allı Turnam
Bağa Gel Bostana Gel
Gönül Dağı
Kar Yağar Kar Üstüne
Çiçek Dağı
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めんどくさいので 今回は いちいちリンクは 張りません. あしからず.
Allah rahmet eylesin.
Neşet Ertaş 追悼本
