超久しぶりにブログを書いたり読み返してみたくなったが、しかし

タイトル見ただけでもう、なんだかまともそうな文体でくだらねぇことばかり書いてたなぁと、恥ずいw(恥ずいは予測変換にあるわで機能がなうい…

さて、次回は読者が待ちに待った(え?)視力と脳機能の回復についての記事でも…

今日は、昨日の睡眠中に見た夢について書こうと思う。
昔、小学か中学生くらいの頃、何度か家族で行ったことがあるレストランが夢に現れた場所だった。しかし、店内の間取りや席の位置は若干異なっていたように今は思うし、テラスもあったのかな。

最初は一人で食事していたが、途中から他の知らない複数の女性客の席に交じり、女性客がメニューをあれこれ注文していって色々食べていたのだと思う。時々席を行き交っていた気もする。
そして、食べた実感などはないが、途中、切り上げて一人で店を出ていった。しかし、会計することを忘れてお店に戻った。そして伝票のことを思い出したと思うが、一緒に食事した女性客が払ってくれるかと思い、『何故戻ったんだ、くだらない』と可笑しくなったw
そして、これは覚醒時だと思うが、そんな風に思ったことが可笑しくなってニッコリしていたと思うwそんな心地ではあった。

そして、それがまたなんとも面白かった。
現実も、色々と滑稽だったら良くて、愉快ではないかなと思う。
昨日かな、フレキシブルという単語を見て、意味がわからなくて調べたらちょっとした感銘を受けた。それがきっかけとなり、発展して夢に繋がったのかなと思う。

夢ってのは、おかしな内容がお決まりだと思うが、それは、人間の潜在的な意識や本能が、常識的に見たら元々狂っていて、普段隠れていた様々な場面と願望や理想などがリンクし、夢として自分に見せてくるのだろうか。
そうも思わせた。

理性が働かず、思考出来ない無意識の状態なのだからそうなのかなと、理屈的にも思った。

それにしても私は、ケースによっては、辻妻が合わないことによる愉快さに魅力を感じるのである。

食事をすると、体中の血液が主に胃や腸などの消化器官に集中されるようになり、脳への血液の供給量は低下する。
満腹かそれに近い状態になれば、多少意識が朦朧としたり、体が言うことを聞きづらくなることと思う。
そうなれば、思考や理性は鈍くなるが、動くのも怠くなると思うし何かするのは億劫になりがちと思われる。

人は、空腹感もそうだし、嫌なことも何もかも忘れさせることを至福だと感じ、それを目指して満腹するのだろう。
だから、欲求不満やウサ晴らしでするのは大抵これだろうと思う。

しかし、満腹することで思考や理性が鈍くなったり、体が動きづらくなるのは、自分が自分をコントロールしづらくなることであり、それが至福のひと時とは思えない。

悪魔に自己を委ねてしまっている状態である。

満腹するまで食べないと不満なら、欲求もコントロールしづらくなるだろう。

満腹することが至福のひと時と感じるなら、少し足りないだけで不満になるし、人によっては快楽を貪るようなる。
そうなれば、果てのない快楽を追い求めることにもなりかねない。

食事は、満腹することが当然であったり、満たされることという観念があるなら捨て去った方が良い。

依存症にでもなる前にだ。

それと、太るのを想像して満腹を恐れるのも、見かけだけに左右されているなら馬鹿な話だ。


自己が自分の支配下にあり、欲求をコントロール出来ることこそが、人間の理想像であると思う。


ところで、おかわりをしないのは、あらかじめ自分で食べる分量を決め、それを守ることで、些細かも知れないが自分との約束を守れるからである。

無理をしなければ、欲求の高みを目指すこともなくなるだろう。
そう判断したのである。