M9.0のときは
娘を抱いて裸足で逃げた
荷物準備したり
どうやってどこに逃げるかイメトレはしてたケド
思い通りになんて
ならない

荷物はもてず
靴もはけず
地震で瓦は落ち
家の窓は外れ落ち
塀は倒れ
家も傾いた
すごい音だった
長くて恐怖で
助けて,お願い,もうやめて
必死で願った

雪がふり風が吹き
車に積んでおいた
おんぶ紐で娘をおぶり
ジャンバーをきた

まだ恐怖で体が震える
続く強い余震
室外放送で
津波10㍍の警報

旦那が仙台港で働いてる

必死で電話を掛けた

繋がったが
もう津波で帰れない
車は流されたと。

『車なんていい。お願いだから生きて!!生きて!!』

それを最後に
電話は繋がらなくなった


アレルギーのある娘は乾パンは食べれないから

余震の続くなか必死で食べ物を集めた

家のなかはめちゃくちゃ
エアコンはぶら下がり
電気のかさまでおちてた
冷蔵庫の中身は飛び出し
家電に書類,乗せてあったものはすべて落ちた

フッとみたら1枚だけ窓が家のなかに倒れていた

それは私たちがいつも昼寝をする場所。。。
下手したら死んでたんだ
ゾッとした

土足で歩き回り
家を出て
近所の人と
避難所へ行った

煙が上がってる
火事も起きかねない
足早に歩いた

体育館にはござが1枚ひいてあるだけ

毛布はお年寄りや子供の家優先に1枚だけ

ジャンバーやブランケットをひいて娘だけでも寝れる場所を作り寝せた。。


ラジオから荒浜に200~300体の遺体があがったと流れた

石油コンビナートは火災

桜木町に川をつたい津波がきたと流れた

私の大切な人たちが津波の被害にあったかもしれない

絶望的


でも娘だけは
娘を不安にさせちゃダメだ
笑顔を守らなきゃ

私しか守れない

私はもう簡単に泣いたり弱音をはいたり出来ない

必死だった



みんな食べるものないのに娘のために食べるものをわけてくれた

飲み物をのませ
人がたくさんいるケド
電気も暖房も何もない
暗闇で眠れない夜を過ごした


なにも喉を通らない
いれると吐き気がする




次の日は天気がすごくよかった
日の光が暖かくて眩しくて
私を癒してくれた


9時半
フッと顔をあげたら旦那がいた。。。。
生きてた
生きてた!!!