昨日のことです。

孫のそうちゃんから、お手紙をもらいました。

覚えたての字で一生懸命書いたお手数です。

文面はこうでした。

あーちゃんへ

おれがけっこんしてこどもがうまれたら、はつえってなまえつけるよ。
うまれかわってほしいから。

はつえとは母の名前で、10月に亡くなった母のことを想ってのお手紙でした。

いつそう思ったの?

と私は、おもわず聞いてしまいました。

返ってきた言葉は、お葬式の日、、、

だそうです。

何だか涙があふれてきました。

そうちゃんが、物心ついた頃には、母は施設に入所していました。

時々娘に連れられて面会には行きましたが、そうちゃんと母は、そんなに接点はないはずです。

私は思いました。

そうちゃんは、私のことをかわいそうだと思っているのだと、、、

母を棺の中に入れる時、離れずに泣いていた私の背中をずっと撫でてくれていたのは、間違いなく孫のそうちゃんです。

そんなことを思い出して、また泣けてくるのでした。

ありがとう、そうちゃん!

12月15日は、母の49日にあたっていて、みんなで母のところに行く予定です。

亡き母に読んで聞かせようかと思います。


母亡き後も、置かれた場所で踏ん張ってきた私です。

主人や娘たち、孫たちに、大いに支えられて生きています、、、


母も、見ててくれてるのかなぁ、、、
母が入所する施設で、何度もカンファレンスを重ね、ここで看取りを、、、という私たち姉妹の考え通り、母は晩年住み慣れた施設で、先月旅立ちました。

すばらしい最期だったと思います。

ものを飲み込めなくなった母は、脳梗塞もゆるーく起こしていたようです。

連絡を受けて駆けつけた時は、こんこんと眠るだけの母でした。

職員の方に、会わせたい人がいたら今のうち、、、と言われ、あー母は今日明日の命なのだと悟りました。

でも、それから一ヶ月程、母は生き続けました。

こんこんと眠り続けるものの、最後まで耳は聞こえてるとの職員の方の助言で、私たちは一生懸命母に声をかけ続けました。

身体をさすり続けました。

好きな音楽をかけ、リンゴジュースを唇にぬり、出来ることを穴埋めのようにやりました。

妹と変わりばんこに泊まり、毎日母に
会いに行きました。

今更ながら、毎日行かせてくれた主人に感謝です。

最期の日も、私たちは
母に
会いに行き、安定していたので一旦家に帰ってきたのです。

その日の夕方、急変しました。

いつそうなってもおかしくないと思っていても、その瞬間は突然やってきました。

私たち子供、そして孫たち、ひ孫たち、全ての身内を、母は呼び寄せたと思っています。

みんなに看取られながら、母は逝きました。

不思議なのは、こんこんと眠り続けた母は、最後に目を見開き、ひとりひとりにありがとうを言うように見つめ、大きな声を出して最後の息を吐き、そのあとは二度と息を吹き返すことはありませんでした。

大好きだったお母さん!

本当にありがとう。

ありがとうの言葉を100万回言っても、まだまだ足りない、、、

親孝行を何もしてない私に、一ヶ月間、尊い、大切な時間に、後悔ないようにチャンスをくれたんでしょ?

母が旅立ったあと、残ったのは悲壮感ばかりでなく、清々しい気持ちになれたのも嘘ではありません。

全て母の計らいだったように思えてなりません。

だからやっぱり、ありがとうの言葉、感謝の気持ちが溢れてくるのです。

そしてお母さん、私を一番に大好きでいてくれて、ありがとう、、、

だから、最初に私のことを忘れても、辛くなかったよ!

まだまだ泣ける日はあるけれど、私は頑張るよ!

あなたのように、愛に溢れた人生歩むよ!

見ててね、お母さん!

大好き、お母さん!!
施設でお世話になってる母の容態が、思わしくないと、妹の所に電話がありました。

昨日のことです。

私はすぐに行けなかったので、妹がひとりで向かいました。

今いまどうのこうのという状況ではなかったものの、寝たまま起きない、蒼白の母を残して、妹は帰ってきたそうです。


今日は、私と妹と二人で母のところに行って来ました。

施設内は、なんだか賑やかです。

大広間に入所者の方が集まり、ステージ上ではお笑い芸人さんのライヴのようでした。

あら、昨日は昨日と違う、、、

母を見て、妹もびっくりしたようでした。

私達はとても安堵し、母を挟んで一緒にライヴを見ました。

時々目を開くものの、車イスの母はほとんど寝ているような状態でした。

職員の方が私達を見つけて、声をかけてくださいました。

お母さん良くなりましたね、、、

いつもびっくりさせてごめんなさいと、、、

私達こそ、いつも迷惑ばかりかけて、本当に恐縮です。

これが本音かな、、、


途中、芸人さんがふるさとを歌い出しました。

驚いたことに、母がそれに反応し、合わせて、うさぎおいし、、、と歌い出したのです。

私と母と妹の
三人には、ふるさとの曲の思い出があります。

あの3、11以降、毎日のように流れる被災地の映像、、、

その中で、避難所に中学生が訪れて、ふるさとを歌い出しました。

避難所の全員が泣いていました。

そして、母も私も妹も泣いていました。

そんなことを思い出した瞬間でした。

私はおもわず母の手を握り、祈るように目を瞑りました。


母は去年の8月、何度も意識傷害があり、それでも今まで生きました。

ずっとずっと、生きててほしい、、、


母は、私の
ふるさとなのだから、、、