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先日、久々にひとり映画をした。
というのも、もともと観る気はなかった映画であったが、小学校来の親友に強く勧められたからだ。
その映画というのが、向井理主演の医大生がカンボジアに小学校を建てるまでの経緯を描いた“僕セカ”である。
映画の感想を一言でいえば、大学生・途上国ボランティアにみられる特有の葛藤をドラマティックに良くまとめられた映画だった。
この映画、ドキュメンタリータッチで撮影されているため、カンボジアに旅行にいった気分になれるだろう。
特に、トゥールスレーン収容所とキリングフィールドをブティさんがガイドしているシーンは本当にありのままで、よく撮影許可が下りたな~と感心した。
僕自身、この映画をみるにあたってカンボジアに行った経験があったことは映画の印象を大きく変えたと思う。この映画をカンボジアやボランティアに全く関心がなく、経験もない人が見て、何を感じ何を思うのかは少し興味がある。
そして、実は僕、この原作となる活動をしていたサークルに大学入学当初入りかけていたという経験があったのも、印象を大きく変えただろう。原作である著書も大学一年の春、既に手にしていた。
当時、抱いた印象はあまり良くなかったが、それは少し偏見もあったかな~と今となって思う。
しかし、そのサークルには入らないがらも、兼ねてから興味があった途上国の実情をこの目で確かめるために、自分でNGOを探して、カンボジアには訪れた。
そして、向こうの人々と触れあって、色々と考えさせられた。これは、今のところ、僕の大学生活史上、よくも悪くも最も衝撃的な時間であり、プライスレスな尊い経験である。
そして、この映画はその当時へ 僕をタイムスリップさせる、そんな映画だ。
改めて、国際支援について考えさせるきっかけをくれた映画だ。
iPhoneからの投稿
というのも、もともと観る気はなかった映画であったが、小学校来の親友に強く勧められたからだ。
その映画というのが、向井理主演の医大生がカンボジアに小学校を建てるまでの経緯を描いた“僕セカ”である。
映画の感想を一言でいえば、大学生・途上国ボランティアにみられる特有の葛藤をドラマティックに良くまとめられた映画だった。
この映画、ドキュメンタリータッチで撮影されているため、カンボジアに旅行にいった気分になれるだろう。
特に、トゥールスレーン収容所とキリングフィールドをブティさんがガイドしているシーンは本当にありのままで、よく撮影許可が下りたな~と感心した。
僕自身、この映画をみるにあたってカンボジアに行った経験があったことは映画の印象を大きく変えたと思う。この映画をカンボジアやボランティアに全く関心がなく、経験もない人が見て、何を感じ何を思うのかは少し興味がある。
そして、実は僕、この原作となる活動をしていたサークルに大学入学当初入りかけていたという経験があったのも、印象を大きく変えただろう。原作である著書も大学一年の春、既に手にしていた。
当時、抱いた印象はあまり良くなかったが、それは少し偏見もあったかな~と今となって思う。
しかし、そのサークルには入らないがらも、兼ねてから興味があった途上国の実情をこの目で確かめるために、自分でNGOを探して、カンボジアには訪れた。
そして、向こうの人々と触れあって、色々と考えさせられた。これは、今のところ、僕の大学生活史上、よくも悪くも最も衝撃的な時間であり、プライスレスな尊い経験である。
そして、この映画はその当時へ 僕をタイムスリップさせる、そんな映画だ。
改めて、国際支援について考えさせるきっかけをくれた映画だ。
iPhoneからの投稿
夏休みを利用して10日間ほど上海へ行って来ました。
語学研修という名目ではありましたが思いの外、自由な時間が多くとても楽しく充実した時間でした。
毎日のようにアルコール52%の白酒を飲むといったハメを外した日々でした。わら (日本に帰って来て鏡月を飲んだ時、まるで何も感じなかったです。)
さて、今回ブログに書きたかったことはそんなことではありません。
上海を自分の目で見て感じたこと、現地で働く日本人の方に聴いて考えたこと、中国人と交流して思ったこと…。
僕は以前、北京を訪れたことがありました。北京は中国の行政機関が一挙に集中している政治都市です。
それに対して、上海は経済都市。
同じ国とは思えないほど、その色の違いに衝撃を受けました。
外難の夜景を目の当たりした時はそのスケールの大きさに圧倒され、どこか東京を過信していた自分の浅はかさを知りました。
もはや、これからの日本市場など国際社会からすれば "out of 眼中"なのだろうと身をもって感じました。
そして、同時に日本国内で今まで当たり前とされてきた価値観や考え方は本当に当てにならない時代になってきていると思いました。ボケっとしていると本当に国ごと買われてしまうぞ…と。
具体的に例を挙げれば語学がそれに当たります。
私たち日本人は大学では一般的に第二外国語を一年間学習します。しかしながら、一年間では語学をマスターすることは難しい…というのが日本の通年上の価値観です。そして、実際大学生の多くは単位を取ることさえできれば良いと考えていることと思います。
それに対して上海の学生は日本語を1年間で7割から9割マスターするといいます。それには、上海の大学で講義をした日本の建築家の方も驚いていました。「彼ら(上海の学生)は、私が日本で行う講義と全く同じ講義をしても最低レベルでも7割程度は理解していた」と。
語学だけを例にとっても、いつまでも国内人の感覚でいては、将来的に日本がどうにもならなくなった時にやっていけないと、本気で思ってしまいます。
特に、僕の身の周りは内向きな人が大多数で、彼らとの間での空気を読んでばかりしまうと、なかなか国際感覚からは遠のいてしまうというのが本音です。
残りの大学生活をいかように過ごすべきか、改めてそんなことを考えさせてくれる貴重な経験でした。
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