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りおたちには少なからず障害と向き合うシチュエーションがやってくる。


それが本当に生まれつきのものの場合もあるかもしれないし、お金がない事かもしれないし、人間関係で失敗したり、仲間やパートナーの嫌な部分を見つけてしまったりすることかもしれない。


いづれは、

受け入れるという事に出会うのかなと思った。

結局のところ、感謝する、受け取る、

このマインドの姿勢を持つことに行き着くのかなと思った。


しかし、、なんという事だろうか。


その最たるものを考えた時に、

アウシュビッツの囚人たちは、自分の持つ障害によって優生思想の理想に反するため、生死、最大の選択肢を奪われたという事例がある。


その最たるものを女性にとって最も身近なものに置き換えて考えた時には、

生まれる子どもがもし障害を持っていた場合、

生まれる前に自分に選択肢がある場合、生と死の選択肢を自分のもつ優生思想や理想によって奪ってしまうという事例が起こり得る。


理想を持ち、選択肢と捉え、相手の選択肢を奪うことをしてしまうことも人間の選択肢にはあるのだ。


自分は苦労したところがあるから、

”障害“があまりにも重度な場合、少し懸念してしまう。


自分はADHDで

父母おじいちゃんなど、かなり賢くすごい人たちだけどどうやらADHDっぽい。そのため、子どももその可能性は割と高いかななんて思う。

ADHDは優れているところも厄介も持っている性格のようなものだけど、


本人はそうありたいわけではないのに、上手くいかない、という状態の人には苦労を共感してしまう。その反面、そうでなかったらどれほど世間で苦労しないか、理不尽という認識で見てしまっている時がある。


<選択について>

ダンスはファッションと同じ?最近のりおの考え。

この場合、ファッションとは、

自分で選択出来るものという意味で言っている。

子はファッションと同じ?

障害のために子供をおろす母親の考えは優生思想で

ある意味この答えにyesということになるかもしれない


自分の人生も仲間も


理想を持つことは上へ上へ向かうために必要な燃料にはなる必要なものだが、

心の持ちようは果たしてそれで幸せになれるのか。。


鷹のような視野を持つお父さんなら

自分が何をしたいか だよ

というのだろうか...。なんていうのかな?

その場合りおは

愛されたい幸せになりたい魅力的になりたい

というのが根幹かな


それに必要なのは心の持ちかた

それに、自由で選択肢があること...


そのため、“生まれる子ども”

となると、答えがわからないな。

賛否両論の極地。



<分からないなりに>

ちょっとの押しつけや束縛や拘束すら、感覚的にすごく嫌がる感覚を持つようにりおはできている。

生と死の選択肢を奪われる事例を考えると

選択肢がいまどれほどあるのか感謝出来る。


いかにいいビジョンをして

いかに手放して今を受け取れるか

いかにマインドを感謝、受け取るほうにできるか


答えを自分でコントロールしようとすることそのものが違うのかもしれない。

子供や仲間は選択肢として認識するのは違うのかもしれない。

理想を押しつけるのは苦しいことだ

それをダンスで考えると、踊っていてもこの思想はダンスに滲み出るものなのかも。

ダンスはセンスのチョイスというけれど、

ダンスを選択肢と認識して出てくる踊りを否定し続けて委ねず受け入れずのマインドでは

見る人に否定と理想の押しつけをしているようで苦しい感覚を投げることになるかもしれない。。


うむ


肯定感謝マインドあるのみ