初刷 IN MEMORIAM

初刷 IN MEMORIAM

澄田玄志郎(1927.3.3 - 2016.12.31)

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1961年、玄志郎は読売新聞 北海道支社に転勤

1964年まで札幌で過ごした

 

「初刷」には珍しく注記として札幌に転勤と記されている

 

 

降り立ちし蝦夷の空港大花野 天狼時代(I) 昭和23年~45年

 

はまなすや漁村の軒の背低し 天狼時代(I) 昭和23年~45年

 

 

母によると

赴任の際は家族に距離を感じさせないよう空路としたそうだ

 

50年以上前に飛行機で親子3人となると相当な出費だったと推測する

おそらく赴任手当は空路を想定してないはず

 

同じ社宅のI家とは、幼稚園も兄と一緒で懇意にしていたらしい。

 

それを知ったのは5年前

大学の同じゼミ生同志だったことがわかった

在学中は勿論、30年以上も知らず付き合ってたことになる

 

二人とも1965年北海道から東京に戻って生まれたのだから無理もないが

 

 

先日、母上とIが玄志郎の仏前にご足労いただき

母と積もる話で長時間歓談

 

50年以上経て当時がそのまま蘇るのを

玄志郎も喜んでいただろう

 

 

 

アルバムを整理していたら写真に句が添えてあった

 

 

これは「初刷」には未掲載作品

 

 

 

昨日が祥月命日の祖母と

先月納骨の玄志郎に
今日52歳を迎えたことを報告

 

もう40年以上前に
祖母と墓参に来ると楽しみだったのが
ここのクリームあんみつ


今も変わらず

 

 

39年前、祖母の往生に接した句

喪の家の白梅今が盛りなる 天狼時代(IV) 昭和54年~平成5年

 

 

 

 

 

12月31日父 玄志郎(三千男)往生の際は
丁重な弔詞をいただきかつ又
お心配りいただき感謝と御礼申し上げます

 

このたび七七日の法要と
納骨を無事とり行うことができました

ひとえに皆様の支えの賜物であり
これからもお力添えいただきますよう
宜しくお願い致します

 

吉幸(義之) 拝

 

 

 

 

 

 

 

 

つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子


山口誓子は玄志郎の師であるが
幼少の頃からことある毎にこの句を引き合いに出し
師の偉大さを玄志郎から聞かされた
熱烈なファンなのだと思った


浄土に還った玄志郎は他の俳人と共に
師とともに句座を囲んでるに違いない


誓子忌の堂内鳴竜鳴りひそむ 八重洲・築港時代 平成6年~15年


パソコンはおろか携帯電話も持たない玄志郎

俳句を嗜みあんなに物書きが好きだったのに
書くことも喋ることもままならないなんて
さぞもどかしく悔しかったに違いない

ふと、思いつき持っているタブレットの手書き入力画面に
数字を書いて掲げると、

指を伸ばし何か書こうとしている


そのまま画面に指を滑らせるのだけど思うような文字にならず

これが玄志郎生涯に一度のものになるとは思いもよらなかった。

 

 

誰もが体験するこの眼科健診の一幕、冬の陽射しがさぞや眩しかったのだろう


冬日眩し薬で瞳孔開かされ   八重洲・築港時代 平成6年~15年

 

 

今日は歯科の定期健診だったので

玄志郎の往生を伝えたところ香典を頂戴し恐縮

 

玄志郎も通院していたが先回キャンセルした為、

前回の健診で様子はどうかと尋ねられ落ち着いてると答えたのが前月のこと

 

 

「初刷」に一句だけ掲載されている歯科の句

 

秋風や歯科出て鳴らす頸の骨  八重洲・築港時代 平成6年~15年