1961年、玄志郎は読売新聞 北海道支社に転勤
1964年まで札幌で過ごした
「初刷」には珍しく注記として札幌に転勤と記されている
降り立ちし蝦夷の空港大花野 天狼時代(I) 昭和23年~45年
はまなすや漁村の軒の背低し 天狼時代(I) 昭和23年~45年
母によると
赴任の際は家族に距離を感じさせないよう空路としたそうだ
50年以上前に飛行機で親子3人となると相当な出費だったと推測する
おそらく赴任手当は空路を想定してないはず
同じ社宅のI家とは、幼稚園も兄と一緒で懇意にしていたらしい。
それを知ったのは5年前
大学の同じゼミ生同志だったことがわかった
在学中は勿論、30年以上も知らず付き合ってたことになる
二人とも1965年北海道から東京に戻って生まれたのだから無理もないが
先日、母上とIが玄志郎の仏前にご足労いただき
母と積もる話で長時間歓談
50年以上経て当時がそのまま蘇るのを
玄志郎も喜んでいただろう
アルバムを整理していたら写真に句が添えてあった
これは「初刷」には未掲載作品







