こんにちは。はつおんびんです。

 

今日、ゲームが与える子供の学習への悪影響について騒がれていますね。

 

香川県の「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」で、より一層討議される題材になっているように感じます。

 

ゲームによって学習効率が低下した研究なども挙げられており、「ゲームはよくないものである」と考える人も、昔ほどではないですがそれでも一定数存在しています。

 

「ゲームなんかやっても時間の無駄だ」と思う人がいるのは、感性の問題であり、そう思う人は決して悪ではありません。

ですが、ゲームをやるのは個人の自由であり、「ゲームばかりやるからそんな人間なんだ」と貶される対象にされるのも違うような気がします。

ゲームをしたい人はするし、したくない人はしなきゃいい、で本来は済む話ですが、このままゲームが悪いものだと思い込まれるばかりなのも、ゲーマーとして悲しいです。

 

ということで、今回は幼年期からゲームに触れてきた私が、ゲームによって様々な感性を身につけられた、という話をしたいと思います。

(勿論、ゲームをして何を得るか、何を感じるかは人によって様々であり、一個人の意見と経験なので予めご理解ください。)

 

まず、私は演劇部に所属していた経験があるのですが、ゲームは演劇に似ている部分があるな、と思うことが多々あります。

演劇は総合芸術であると言われます。音楽やイラスト、ダンスなど、複数の芸術作品が複合したような状態でできたものです。

 

ゲームは、基本的にBGM、背景、モノによっては台詞やキャラクターの立ち絵、そしてプレイヤーのコマンド入力によって成り立ちます。RPGなどであれば、よりプレイアブルキャラクターに自己投影しながら遊ぶことができますよね。

 

さて、自分が干渉するということがどれほどすごいことか。

我々は、映画や小説を読んだときに登場人物に感情移入をします。それは、画面越しに見たものを「自分だったら」と思い込むことで、共感することができると思います。

 

では「共感」や「自己への転換」をしながらゲームをプレイするとどうなるか。

ゲーム内で起きたことがフィクションだったとしても、その時に感じた感覚や感情は、自分の経験値となるのではないでしょうか?

楽しい、うれしい、怒り、悲しみ、裏切り、衝撃などなど、思い出に残るゲームとは、意外と感情に紐づいて覚えていることが多くはないでしょうか?(勿論、これはゲーム内での感情だけでなく、当時の環境などにも依存しますが)

 

そこで得た感情は、人間を豊かにする材料になりえます。

ゲームに依存することは褒められませんが、ゲームに没頭して共感することは悪いことなのでしょうか? と私は思います。

 

最後に、私がおすすめしたいゲームを紹介して、終わりにしたいと思います。

今更ですが、私はゲームBGMが好きなので、それも含めておススメしたいものを列挙します。

 

「ナイツ NiGHTS into Dreams...」……これを小さいころにできていたらなぁ!と思った作品(筆者は高校の頃プレイしました)。「夢」がテーマの物語です。優しいBGMも大好き。

 

「UNDERTALE」……思い込みを覆されるゲーム作品。ネタバレを回避してプレイした買いがありました。ゲーム愛が強いほど衝撃を受けます。

 

「moon」……Switchの移植で長年の片思いが実った作品。プレイ後に放心しました。待ちゲーでもあるので、ある程度忍耐強い方におすすめ。

 

「ポケモン不思議のダンジョン 時・闇・空の探検隊」……ストーリーが非常にシリアスで、善悪について考えさせられることが多い作品の一つです。某バトル後からスタッフロールまでの流れが最高。

 

「スーパーペーパーマリオ」……ペーパーマリオシリーズの中でも、シリアスなストーリー。全体のテーマは「愛」。ボスバトルのBGMが特徴的でいいです。

 

長々と失礼しました。

お粗末。