私は身体には1つの意識しか存在しておらず、この身体の所有者は私であると長年信じてきたが

果たしてそれは本当なのだろうか。


顕在意識である私は自分が何を好きになり嫌うかという事柄でさえ選択できないし、考え方

一つとっても【意識的に】信じ受け入れることができない。


正直、一種明らめの境地だが顕在意識である私はこの身体の支配者などではなく実は殆ど無力に等しい存在なのではないかとさえ感じている。


現代社会では身体に複数の意識が存在するという考えに対して病的なレッテルを張る傾向にあるが、個人的な感覚ではやはり身体には自分ではない【他人】ともよべる存在がいるのではないかと思える。


そして、私が知覚できない存在達こそ実は重要な役割を担っており、彼等の協力なしに私は何もできないのではないかと感じる。


恐らく、顕在意識である私は脳が発達する仮定で生じた意識であり【感情を持たない】ように思える。感情とは潜在意識もしくは身体という【他人】から発せられた声であり、意識全体のほんの一部でしかない私がそれらを知覚しているだけなのではないか。 


さらに、潜在意識は自他の感覚を持たないため顕在意識が感謝の言葉を発した際、それが第3者に向けられたものであっても【自分が言われた】と感じている可能性もある。


なぜ一個体に複数の意識が混在するのか。

それは、既に存在している各意識体が各々を認識するためなのではないだろうか。

一つの意識しか存在しない場合、その意識は自らの姿を観ることはできない。観るためには別の意識体が必要であり、顕在意識は潜在意識の、潜在意識にとっては顕在意識はそれぞれの鏡の役割といえるのかもしれない。