誤まれる愛と憎しみと絶望

 

これらは人間であることを根底から破壊する

 

呪うべき悪魔の三ツ児である

 

 

死を超える情念はこの三つよりかほかに  ない

 

 

愛と同じく

 

「憎しみ」 からくる復讐の怨念もまた

 

死の恐れによってとどめる事は不可能である

 

 

「絶望」 は死  そのものであり

 

絶望した者にとっては

 

死は最大の願望ですらある

 

 

愛する者と共にいることができないこと

 

愛しえない者と共にいなければならないこと

 

自分の価値を理解してもらえないこと

 

 

この三つにまさる苦痛はない

 

 

人の心を根本から荒廃せしめる

 

かの呪うべき三ツ児は

 

この耐えがたき苦痛より発する

 

 

神なしに私が超え得たのは

 

最初の一つだけだった

 

 

愛する者を愛しえぬ悲しみ

 

それは自分を生ける屍(しかばね)にした

 

 

私は全ての五官

 

すべての感情を抹殺することによって

 

この苦しみから脱した

 

 

人間が石になるのに

 

なんで神を必要としよう

 

 

しかし その代わり

 

私は人間であることを止め

 

無機物に化すという

 

測り知れぬ大きな代償を必要とした

 

 

しかし  あとの二つは

 

石になってもなお乗り越えられない

 

 

なぜなら

 

私はこの世に 「生まれた」 からだ

 

生まれたからにはその理由を問わずには

 

死ぬにも死ねない

 

 

生きるというこの限りない苦痛を

 

自分の意志でもないのに

 

私に強制したものはだれか

 

 

なんの必要があって

 

自分は生まれなければならなかったのか

 

 

このことを聞きただしたいためだけに

 

私は神を求めた

 

 

それはあまりにも不当であり

 

あまりにも無慈悲な刑罰のように

 

私には思われたからである

 

 

生きるというこの最大の呪いと苦痛を

 

私に贈ったのはそもだれか

 

 

もしそのような者がいるなら

 

その者の胸ぐらをつかまえ

 

その不条理を詰問し

 

面罵してから私は死にたかった

 

 

私は知らなかった

 

この世に愛の喜びがあることを

 

まして

 

その喜びのために私が

 

創造されたなどということを

 

どうして想像することができただろう

 

 

私は自分に

 

まことのいのちの親があることを知らなかった

 

私は詰問するために

 

面罵するために

 

呪うために神と出会ったのだが

 

 

出会った神は私よりももっと悲惨であった

 

神は私を見つめてただ泣くだけであった

 

 

その涙のうちに

 

私は告げることのできない神の苦しみと

 

神の愛とを知った

 

 

声を限りにもだえ泣いた時

 

神はただひとこと

 

「 ごめんよ 」と言われた

 

ひとことも私を責めはしなかった

 

 

一瞬にして

 

私は全てを了解した

 

 

神は苦しめんがために私を

 

生んだのではないことを

 

 

与えたくても与えることのできない寂しい神を

 

慰めたくても慰めることができず

 

ただ歯をくいしばって

 

 

それでもひとこと

 

「わたしはお前の親なのだ

 

そのことだけは分かっておくれ」

 

 

絶えいりそうなかすかな声でそう言われた

 

人間には

 

それを体験しない限り

 

絶対に分かりえない苦痛がある

 

語りえない心の秘密がある

 

 

もし語ったら

 

さらに収拾のつかない混乱と

 

破壊がおこるだろうから

 

 

神としても同じである

 

神にはなおさら語りえぬ多くの心の秘密がある

 

人間への限りない愛ゆえに

 

 

だから私達は悟らなければならない

 

神の言葉なき言葉を

 

 

               - 祈り -

 

 

 

作者 野村健二 大兄  

昭和 8年(1933)~

平成28年(2016)10月23日午前7時33分

石川県ご出身  満 85歳

 

 

私にとっての神様とは、

 

人類が普遍的に保つ信仰心、

 

出会う人の中に見い出そうとする神性や仏性

 

大自然の中で感じる事の出来る厳しさと包容力。

 

かつて野村大兄が出会われた

 

神様の愛とは、ゆがみのない親なる存在の

 

心情。

 

私も心情を持つ神様、在(あ)って在る神様を、

大切にしていきたいです。

 

 

      まるでそれは、わたしにとって唯一の生命の樹のよう。

          

 

 

Ombra mai fù di vegetabile,
cara ed amabile, soave più

 

 

献上二首  詩と小品曲を胸に

 

『 木漏れ日や まぶしく目上げ眺むれば

 あたたかきかな 君の眼差し        』

 

『 触れ来たる 君の指先 頬に風

 抱(いだ)かれし 今  生かされている』

 

 

 

 

 

 

 

2018 09 13  am 05:05初投稿

 

2024 03 14  am 06:45 再投稿