わたし自身は直接介護に携わった事がないので偉そうなことは言えませんが、“一対一のコミュニケーション”を仕事としているので、介護疲れを癒す何かのヒントにならないかな、と思いながら書かせて頂きます。
通常、わたし達は連続した時間の中で生きているので、「昨夜の質問」→「今朝の返事」→「今の判断」→「今夜の行動」というようにコミュニケーションが連続して変化していきます。
しかし、例えばアルツハイマーの方だと最近の事ほど記憶に残らないので、“連続していないその瞬間だけを生きている”状態になり、同じ会話を何度も繰り返してしまうのだと思います。
冷蔵庫を開けるとイチゴが入っていることに気がついた母。
「子はちゃんと食べたんだろうか?」と思う。
「あんたの分食べた?」と質問する。
実はその質問は昨日も聞いているということを子は記憶しているので「だから、食ったって言ったやん!」とイラついてしまうんですよね。
でも、母は記憶がないので、いま初めてその質問をしたつもりでいるはずです。
そして質問に対して子がイラついた理由がわからず、戸惑われるのではないですか?
わたしの親戚の話でも……
一緒に食事をし、食器を台所に下げて、食器を洗っていた母。
洗っている食器を見て、「子はちゃんと食事をしたのかしら?」と思う。
「あんたご飯食べた?」と質問をする。
なんて事が常に発生していたらしいです。
「いま一緒に食ったやんけ!」と言いたくなるのですが、母に“一緒に食事をしたさっき”は無く、“お皿を洗っている今の瞬間”を生きているんですね。
そしてその状況を本人に理解してもらおうとしない方が良いでしょう。
説明を聞いた今この瞬間は「そんな事があったのね!」と思っても、そう思ったことを次の瞬間には記憶していないでしょう。
物事を理解したり憶えたりする記憶の能力を失っていっても、会話の相手に苛つかれたり怒られたりして傷つく心までは失っていないはずです。
だからこそ、連続したコミュニケーションはできないと思ってあげた方が良いだろうと思います。
ちゃんとイチゴを食べたか心配してくれるようなら、その場で一緒に食べるなりして、次回冷蔵庫を開けた時にまた心配しなくていいようにしてあげてください。
ちゃんとご飯食べたか気にかけてくれるようなら、食器洗いを手伝うなりして、食事のことが気になる状態から開放してあげてください。
近所の桜が綺麗だよと教えてくれたら、ホントに綺麗だねと、何度でも共感してあげてください。
不安を取り除き、感動を共有してあげられれば、お互い穏やかに幸せに暮らすことが出来るのではないかな、と思います。
そうであって欲しいと思います。