されば此度、広島駅に「MOVIX広島駅」なる新しき館が開いたとの報せを耳にした。
しかも、ミナモアのオープンから半年も経っておったというのに、拙者つい先日までその存在を知らなんだ。
まこと不覚の至りにござる。参りたいと存ずる。
思えば、二〇〇八年に松竹東洋座が閉じて以来、広島の地から松竹の灯は消えていた。
その復活を聞き、胸の奥でなにやら燻っていた記憶がぱっと火を噴いたのである。
松竹東洋座のことを思い出すと、子どもの頃の空気がふっと戻ってくる。
うちは町工場の印刷屋で、東洋座はお得意様。
おかんが営業で通うたび、なぜか支配人さんに可愛がられてて(笑)、ときどき招待券をもらってた。
ざらっとした紙のチケットを握って、もぎりを抜け、座席に腰を沈める。暗くなる直前、映写機が回りはじめる小さな唸り——あの瞬間がいちばん好きだった。
そして、松竹といえば、やっぱり「男はつらいよ」。寅さんだよね。
印刷屋の倅の目には、くるま屋の裏の“タコ社長”の印刷所が、まるでうちと重なって見えて、スクリーンの向こうに親戚がいるみたいで。
…とはいえ中身はしっかり“おとなの映画”。
子どもにはちょっと退屈で、肘掛けを指でカタカタ鳴らしてた(ごめんなさい)。
本気でハマったのは、松竹の時代劇。
テレビの延長みたいに、映画版の「必殺仕事人」にのめり込んだ。
藤田まことの中村主水にすっかりやられて、皮肉と情のあいだに立つあの佇まいが、トラウマになるほど嫌いだった時代劇を、いつの間にか大好きに変えてくれた。
大人になって晴れて葛飾区民。日曜の夕涼みといえば柴又帝釈天。
単線二駅の京成金町線に揺られて、櫻さんが見送るあの柴又で降りて、参道を抜け、風の通る石畳でひと息。
くるま屋のモデルの高木屋さんの暖簾も、よくくぐった。ふとした音や匂いに、東洋座のスクリーンがよみがえる。
…招待券一枚からつながった景色は、今もちゃんと胸の内で息をしてる。
かたてわざ稼業に追われる浪人とて、かような記憶を糧に、今日もまた一日を生きるのである。