当時、豊島第十中学では、以下の問題があった。
1)とりわけ、千川小(大成小出身者にも言えるが)出身者が暴力的
2)これに対して教師が毅然とした態度を取らない
3)課目によっては、進行が遅れ、とりわけ理科の場合は3年一学期でもまだ一分野をやっていた
まったく、中学教育の体をなしていなかった。入試の場合も、当時、都立は英数国3教科だったが、神奈川や埼玉では理社が加わった5教科であった。埼玉に隣接する地理的な立ち位置を考えると、卒業後、マイホームなどを都外に求める家庭も多かったが、とりわけ理科の遅れで県立高校受験は不可能であった。社会科も、中2の時に、C大学国史科卒業で、途中から必要もないのに鬘をかぶった教師に地理を担当させるという、専門外担当という無責任な教育体制を取った。
私は、「機会喪失」を、豊島区立第十中学関係者と、現在は統合された明豊中学関係者に対して主張したい。
とりわけ、生存している当時の第十中学教師とイニシャルの生徒には、公開の場に出てきてもらい、当時の指導力の無さ、不良活動を推進したことに関する説明責任を求める。
