長女のことを毎回書いておりましたが、昨年の春休みに母のお見舞いに行きました。
このあとから入院している母は、肝臓の具合が悪くなってきてるのか、ぼーっとしていることが増えて脳症になってるのなぁ……
と不安になっていました。
春休みに顔出した際もボーッとして眠そうだけど話せば理解してるし、話そうともしてくれてるせ。
そんな感じでした。
夏休みの子供たちのコンクールが終ったら顔出しに行く予定で、それまでは妹に週2回様子を見に行って貰ってました。
逐一連絡をくれていて、今日の様子はこうだったよ。とか、今日は寝てたとか教えて貰えて助かりました。
妹一人に負担を掛けてしまっているので申し訳ない気持ちです。
そんなある日、相変わらず眠そうにボーッとしている母の状態を知らせる電話が主治医からで妹に来たそうです。
主治医 「お母さんの具合ですがいつも眠そうにしていて、これは脳症ではなくて食事が取れなくて栄養が足りなく肝臓の機能が落ちてるからです。今は点滴で栄養を補ってますが、尿の出も落ちてきてます。血圧も低下気味なので、いつ急変してもおかしくありません。心づもりしておいてください」
妹 「わかりました。確かにボーッとしてる割に話しは通じてるので脳症ではないんだろうな……とは思ってました。家族にも知らせておくので、急変時には連絡ください」
主治医 「もちろん急変時はご連絡しますが、今すぐどうこうって話ではありません。まだ意識はありますし、おっしゃる通り話しかければ意志疎通できます。このまま意識レベルが下がり血圧も下がってくるとという話です。もう積極的な治療が出来ないので、ご家族で理解しておいてください。」
妹 「わかりました。よろしくお願いします。」
というやり取りがありました。
これが5月頃
もう私たち娘は覚悟を決めました。
尿の出も悪いということは腎臓も機能低下しているのでしょう。
妹から伝えられ、私も主人に話し姉にも話し、いつ連絡が来るかと怯えて暮らしてました。
妹がお見舞いにいくと、日に日に寝ていることが増えているそう。
話せる日も少なくなり、6月下旬には血中酸素が落ちてきてるからと酸素マスクをつけることに……
妹がお見舞いに行っても寝てるので顔を見て帰る日々
今思うと寝てるのではなく意識がなかったのかも
なかなかお見舞いに行っても主治医には会えず、看護師さんの話では起きてることはほぼないそうです。
これは時間の問題かも……と連絡を貰っていたので、いつでも休めるように主人にはお願いしていました。
それから数日頑張ってくれて、7月5日に他界しました。
妹に急変したと仕事場に連絡が入り、急いでタクシーにのって駆けつけるも5分間に合いませんでした。
職場からタクシーで15分ほどのところです。
なかなかタクシーが捕まらなかったのが悔やまれる
と言ってました。
もちろん、私もすぐに連絡を貰いましたが間に合うはずもなく………
しかも私このとき、コロナにかかってしまい自宅で隔離してたんです。
熱も38度越えてて……
急いで子供たちの学校に連絡し下校させました。
長女は部活中で本人と連絡は取れて帰るよう言いましたが、学校にも連絡し顧問に早退をお願いしました。
主人はリモートしてくれていたので子供たちが下校次第、車て実家へ向かいます。
姉にも連絡したけど電話にでないので、LINEをし道中でも電話しました。
仕事帰りに買い物してたらしく、急いで病院へ向かってくれるとのこと。
甥も仕事を早退して姉と合流して病院へ行くみたいです。
私がコロナということもあって、病院へは行かれない(同居家族も)ので、実家へ向かって母の帰宅準備をします。
高熱でフラフラなので解熱剤を飲み、マスクを二重に付け、夏なので母の部屋にクーラーを一番最低気温にしてキンキンに冷やし、帰宅後に寝る布団を用意しました。
妹と姉と甥、姪が母を連れて帰宅しました。
代々お願いしている葬儀社の方に母を安置してもらい、すぐに葬儀の手配
姉たちは私がコロナで接触したくないらしく、私がいるならと帰宅しました。
電車で30分ほどのところですが、実の母が亡くなったのに帰れる気持ちがわかりません。
感染が嫌な気持ちもわかります。
だからこそ私も解熱剤を飲んで動けるようにし、マスクも二重、三重して暑くても外しませんでした。
食事も離れて近くに気持ち程度の空気清浄機も置きました。
こんなときにコロナになった自分が嫌だわ![]()
私と妹で夜通し話して、母の部屋へ様子を見に行ったり、ほぼ徹夜で夜を明かしました。
主人には車を出すこともあるかもしれないので、寝てもらって対応して貰うことにしました。
私と妹が徹夜すると運転出来る人がいなくなるので…
姉は帰宅したら親戚関係に連絡して貰うことをお願いしました。
うちは本家ではありますが、もう私たちの代になると付き合いもなく、近しい母世代のお元気な方にだけ連絡をいれました。
ご近所には町会長さんと、仲良くしてくれていた方にだけお知らせしました。
葬儀は4日後の9日
子供たちは9日までお休みを貰い、その日のうちに帰宅します。
長い間、膝関節に悩み、肝臓がんに悩み、再び自分足で歩くということも出来ずに亡くなりました。
本当に頑張ったと思います。
姑にいびられた時もありました。
その姑の介護に父の介護もしました。
歩くことも難しくなり始めた頃の古希のお祝いに、私たち家族と妹で鬼怒川旅行へ行ったことが思い出です。
浅草からスペーシアの個室で行き、色々見て回りホテルではお祝いのケーキを出してもらって🎂
帰りはホテル出る頃に雪が降っていて、スペーシアに乗れたはいいけど都心が大雪だとかで徐行運転に変わってしまった。
途中駅で停車したりとなんだかんだ2時間近く遅く浅草に着いて、さすがにタクシーが捕まらず、雪の中歩けない母なので浅草のデパートまで頑張って貰ってそこのタクシー乗り場から自宅へ帰ったそうです。
私たちも雪の中、幼い子供たち(まだ未就園児と幼稚園児)を連れて激込みの電車と最寄りからはバスで帰宅しました。
バスなんて5分でつくところ、30分かかりました![]()
雪に弱い東京ですね(笑)
そんな楽しい思い出が作れて良かったです。
お母さん、安らかに………
