◾︎私のこころ

私を語るとき、いつも父が存在します。

父はとても厳しい人でした。

たたき上げの消防士。
父が白といえば黒いものも白。

手をあげる事も珍しくなく
気に入らなければ大きな声をあげ
何人もその威圧の前に意見など言えるわけもなく、ただ父のいいように、息を殺し(少なくとも私はそうだった)自分を殺し

「早くこの家を出たい」「自由になりたい」

小学生の頃から私はそんな事ばかり考える、少し歪んだ子どもでした^ ^


私の4つ下の弟は
そんな真正面からバカみたいにぶつかる私を見て、何かを学んだのでしょう笑

とても上手く、父との距離を保ちながら暮らしていました。


そんな絵に描いたような昔ながらカタブツ昭和の家庭で私は第一子長女として生まれ育ったと言うわけです



今朝ふと、リビングの掃除機をかけながら
「なぜ父はそんな父になったんだろう」
と思いました。


父のお父さんは、父がまだ小学校低学年の頃
殉職しています。
消防士だったそうです。


父は2人兄弟で、いくつか下の弟(おじさん)がいます。

父のお母さん(私のおばあちゃん)は父とおじさんを育てるため朝から晩まで働いたと聞いています。

幼い父はそんな環境の中

しっかりせねばならない
甘えてはならない
支えなければならない
守らなければならない

そんな事を思ったのかもしれません。
勉強が出来た父は、本当は大学に進みたかったのを諦め、就職。
お金を家へ入れながら
「大学はでろ」
と、弟でもあるおじさんの大学進学の資金を出し
たそうです。

そこから何があったのかは知りませんが
おじいちゃんと同じ消防士の道へ進んだ父。

大卒がエリートの消防士。
高卒出の父は自らの努力で署長まで上り詰めました。

その環境は必然的
自分に厳しくなる。

「自分に厳しい人は、他人にも厳しくなる」

父の「○○しなければならない」
はここから生まれたのかもしれません。

そんな環境で生まれ育った私は

「○○しなければならない」
を当たり前に引き継ぎ

幼い私は
父が掲げた理想通りに出来ない自分を責め
当たり前に自己肯定感は育たず
当たり前に自信がない。

自分で自分を褒められないから
他人に認めてもらいたい気持ちが強くて

認めてもらえた時は良いけど
思った評価が帰ってこなければ
またそんな自分が嫌いになる。


って事にある日気がついて
私は変わりたいと思いました。

心理学を学んで
色んな出会いの中で
色んな言葉をもらって
蓄えて蓄えて
気がつけば今の私になりました。

ここまで来るのに30数年かかりましたが
私は今の私がとても好きです笑笑




父から受け継いだもの。
父からのプレゼントは
良いものもあれば、そうでないものもありました。


今の私はそれを自分で選別して
私の子どもたちに
私が「渡したい」と思うものだけを
プレゼントしようと決めたんです。



受け継ぐもの
手放すもの

父が亡くなったのは5年前
桜が綺麗な季節でした。



お父さん
今ならきっといっぱい話せたのに

生きていた頃は 上手く話せなかったよ


お父さん。沢山のプレゼント、ありがとう。
お父さんからもらったプレゼント
次は子どもたちに渡していくからね!

受け継ぐものと手放すもの

要領が良かった私の弟は
気がつけば彼も消防士。

彼も彼なりに
父から何かを受け継いだのかもしれません。



そして私。

新たに私からは何がプレゼントできるかな?

なんて考えながら子どもたちの笑顔の写真が目にとまりました^ ^

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