先日、政治経済の課題のレポートでクオータ制というものに触れたので、今回はそれに対する私の考えを、この場を借りて記させて戴きたいと思う(始めに言っておくが、私は男尊女卑も女尊男卑の思想も持っていなければ、男女平等にも興味はない。更に言えば、不特定多数の人間の幸福も牧歌的平和も望んでいない)。
さて、皆さんはクオータ制という言葉をご存知だろうか?
以下にリンクを貼らせていただいたが、
簡単に言うと、政治において、議員候補者数の一定数を事前に女性と定める制度である。
さらに日本政府はこれを民間企業の管理職ポジションにも拡大しようとしている。
そこで、本題に入るわけだが私はクオータ制導入に賛成である。理由は、この制度により
男女格差の是正をし、埋もれていた有能な女性を発掘できること、更に他国への対面を保ち、かつ手本的存在になることもできるかもしれないからだ。
しかしクオータ制導入による逆差別、女性の精神的負担、企業の業績や競争率の低下への懸念がデメリットとして挙げられている。確かに女性の精神的負担には配慮が必要だが、他二つは寧ろ利点ですらあると私は考える。
現代の日本社会の構造は無意識的な男尊女卑を前提としている。日本語の構造こそがまさに
その最たる例であろう。そして私は、差別の無い社会の創造の過程には万人が差別を被る社会、革新派と反動派による社会の混沌が必要だと考える。誰もが差別の被害者であり、且つ、加害者となる事で真に差別というものを、理解するのである。更に、差別を理解した上でこの制度を推進し、それによって社会の変革を起こそうとする革新派と、従来の社会に逆進することによって社会の変革を起こそうとする反動派の対立も混沌をもたらし、多くの者の社会に対する関心を掻き立てるきっかけになるだろう。
また、女性であるというだけで男性より能力の低い人間が管理職になり得る制度、というのは企業の弱体化という危険性を大いに孕むと言うことができるだろう。
そうした逆差別、企業弱体化等の混沌をもたらすことこそがクオータ制の本当の役割でありこの事態に直面して初めて現代社会は最適化
(もちろんここでの最適化とは元来の最適化と言う意味ではなく、最適なものと化すと言う
意味で使用している)に向けての話し合いを開始するのだと私は思う。
差別とはなんたるかを理解し、現在の混沌の
原因究明と対処法についてを論じ合う、
こうした動きをすることで初めて社会は新たなステージに移行をすることができるのだと私は思う。
つまり、クオータ制は有能女性の発掘や体裁的観点だけでなく社会の最適化の可能性を見出す為の一つの方法であるから、私はその導入に賛成するのである。
