おはようございます。

今日は東日本大震災から5年。

今日はその時の話を書きたいと思います。

私は岩手県二戸市という岩手県の最北に住んでいました。

当時、私は小学六年生で午後2時46分、その時は5時間目が終わり、帰りの会をして、6時間目の体育の準備に行こうとしていました。

みんなで次の体育、なんだろーねーなどと話していた時、

私は小さな揺れにすぐに気づきました。

あ、地震だ。

地震は度々起きるので、また小さい揺れでおさまるかなーと思ってました。

でも、その揺れはどんどん大きくなっていって、視界がぐらぐらするくらい揺れました。

全員机の中にもぐって、揺れがおさまるのを待ちました。

その間に、電気が切れて、物は落ちました。

当時の私はそんな大きな揺れは経験したことがなかったので、とても怖くて、泣いてしまいました。

揺れが一旦おさまり、先生の指示ですぐに校庭へ避難しました。

みんなの顔は不安を隠せませんでした。

校庭に避難し、指示を待っている間、余震もありました。

外にいると、少し安心できました。

その時の3月は今年と全く違い、肌寒い3月で、まだ冬という感じの季節でした。

その後、集団下校になり、縦割り班で帰ることになりました。

やっと帰れる…

と思い、安心しました。

ただいまー。

その時はおじいちゃんが家にいました。

二階に上がって、おじいちゃんの部屋に行くと、

本棚を押さえていました。

おじいちゃんはたくさん本を集めている人なので、

倒れないように自分の身よりも本を守っていたのでしょう。

まずは押し倒されてないと確認できたので安心できました。

少し待っているとお母さんとおばあちゃん、妹が帰ってきました。

お母さんとおばあちゃんはその時盛岡の方に行っていたので、車の中で地震にあったそうです。

そして、大変だったのは、夜です。

電気もつかず、ストーブも付かない。もちろん、水はお湯なんて出ない。冷たい冷たい水だけです。

いつも当たり前だったことが普通にはできない。その時の私は、普通のことが幸せだと感じました。

電気は懐中電灯、ストーブは反射式のストーブ、ガスも付かないのでカセットコンロで。水は冷たいまま。

私たちはどうすることもできないので、安全な避難所へ行くことにしました。

そこには何人か避難された方がいて、とても安心しました。

そこで一夜を過ごし、次の日の午後には電気も復旧しました。

4月に入って、入学式の次の日にも余震はありました。その時も停電してみんなが、入学早々怖いね…と言っていました。

当時のお話は以上となります。

沿岸の方々は二次災害などにも巻き込まれ、私よりも辛い思いをしていると思います。

何か助けになることがあれば、積極的に復興に携わりたいです。

みなさんも小さなことから助け合っていきませんか?

3.11~あの日から5年~