日航機墜落慰霊碑・慰霊の園を訪ねて | 謝中泊・車中泊ーhasshin2003のブログ

謝中泊・車中泊ーhasshin2003のブログ

思うところがあり、キャンピングカーを購入。購入できるのも、両親・家族・様々な方のおかげ。そこで、その感謝の念をこめ、感謝の謝(しゃ)と車中泊の車(しゃ)を兼ね、謝中泊・車中泊のブログを発信します。

9月17日(土)のこと。

今回の長野県・群馬県の道の駅めぐり、群馬県の上野村にも道の駅があることが分かり、できれば訪ねたい場所があった。1985年の日航機墜落事故の慰霊碑。

ネットで検索していると、道の駅オアシスなんもくから、道の駅上野に向かう道中、国道299の近くに日航機墜落慰霊碑・慰霊の園があることが分かった。


国道から少し外れ、さらに山道を登ると慰霊の園があった。

正面からの慰霊碑。

お金を入れ、ロウソクと線香をあげれるようになっていた。一本のロウソクを灯させていただき、手をあわした。

この慰霊碑の中央の方向が、墜落現場の御巣鷹山に向かっているそうだ。

この日テントが立ち、沢山の方が準備に動いておられた。

ちょうどお彼岸近く、下のような法要が準備されていたようだ。


沢山の慰霊碑があった。





上の慰霊碑は、群馬県歯科医師会の慰霊碑。

飛行機の上空からの墜落、そして同時に起こった火災により、多くの遺体が性別も年齢もわからないような中、当時はDNA鑑定は一般的になっておらず、搭乗者の歯科診察のカルテから、遺体の確認作業が進められた。多くの歯科医師の献身的な働きで、遺体の身元確認が進んだようだ。

墜落現場、御巣鷹山への地図もあった。


下の建物は、資料館。遺品や救助作業の様子などが展示されていた。

小さなお子さんの靴、女の子の小さな財布、夏休みの家族旅行、帰省で事故に遭ったのだろうか。胸が詰まり涙を抑えることができなかった。

また、墜落の翌日早朝から始まった救助作業、本当に山深い墜落現場の確定と案内に大きな役割を果たしたのが、地元上野村の消防団や猟友会の方々だったそうだ。

慰霊の園を管理する管理棟。ここでトイレをお借りした。

慰霊の園、ここまでの道中、鉄道を利用するにも、車を利用するにも、かなりの時間がかかる。家族、親族を亡くされた遺族の方々も高齢化が進んでいる。本当は亡くなられた御巣鷹に登って供養されたいだろうが、2時間の険しい登山になる。時間はかかるが、何とか車で行けるこの地に慰霊碑を作られた意味もよく分かった。

十数年前、友だちに勧められて読んだ、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』。事故のこと、事故後の様々な遺族の方々の悲しみやご苦労と共に、事故の背景とも考えられる会社の体質や状況についても考えさせられる内容だった。

自分自身も車のハンドルを握る人間の一人として、命と安全について、深く考えさせられる訪問となった。

行かせていただいて良かった。