連日、オセロ中島さんの洗脳ニュースが繰り広げられて、中継まで出る騒動に。


中島さんのお引越しより、普天間基地のお引越しのほうが 大問題じゃないの?

まだまだ日本は平和なんだなあ。


といいながら、奇妙な事件で 展開に注目してしまう。居すわられた大家も気の毒だ。


私たちは仕事柄、二人に一つデスクにテレビが置かれていて、すべてのチャンネルをオンエアチェックできるのだが、この事件だけは ついついちょっと仕事の手を止めてみてしまう。


霊能師とよばれる人物の つっこみどころ満載の妄想、神のお告げ、「どう考えてもおかしいだろう」ということが、親の言葉より信じられてしまうのだから 洗脳は怖い。


何かに依存する怖さ。

霊能者依存、アルコール依存、買い物依存、パチンコ依存、・・・ 


何かを恐れるが故に、すがりたくなるのは人間の心理なのだろうか。


20代前半は、やれ恋だの仕事だので、友達同志でよく当たる占い屋さんの情報交換して、まったく他人の言葉に 一喜一憂したものだ。今考えると ばからしい。無駄なお金を使ったものだ。


心に決めたことがあって、最後に第三者の意見をうかがって、決意を固めるのならまだいいけど、それなら別に占いでなくても 経験豊富な人格者を探せばいい。


本当の成功者や 幸せな彼らは お金を取らずに喜んでアドバイスしてくれるだろう。


不安をあおったり、コントロールしようとする人は まずまがい物だと思う。依存させたいと思う人は、その人自身が病んでいると見たほうがいい。


心の健康な人は、そんなことはしない。自分に従わせることもなく、ワインのソムリエみたいに 可能性だけ示唆してくれることだろう。


「Aを選ぶと こうなるかもしれない、Bを選ぶと こうなるかもしれない、それぞれメリット、デメリットがあります。選ぶのはあなたですよ」


そして あなたが選ぶどんなことにでも背中を押してくれ、仮に失敗しても その経験そのものが学びになったと祝福してくれるだろう。


人生は選択の連続、失敗したっていい、回り道したっていい、目的地まで最短距離でいくことが目的なのではなく、 旅をする経験そのものが目的なのだから。


選択を間違って、つらい思いをすることもある。あのとき、こうしていれば・・・と後悔することもある。

占い師は「私に聞いておけば、近道を教えてあげたのに・・・」というかもしれない。


でも、後悔することもまた大事な経験。それでいいのだ。その分、賢くなれるし、優しくもなれる。最初から答えを教えてもらっていたら 答えがない現実が怖くて耐えられなくなる。


それこそ、何を食べたらいいですか? といちいち占い師に聞かないと何もできなくなる。


私たちは、みんな未熟なパイロットで、地図すらもっていないけれど、心の操縦席を、決して他人に受け渡してはいけない。


すべては自己責任と腹をくくって生きていこうと思うと、不思議と素晴らしい出会いがあって、占い師よりも的確に人生のアドバイスをくれる人に出会える。


いろんな経験を積んだ、本物の師に会える。


どんな道を選んでも、信じて見守ってくれる 素晴らしい人に出会える。


だから、安心して 感謝しながら自分の人生を歩んでいけるんだと思う。


どんな時でも、どんな状況の中にも、ポジティブな側面は必ずある。


ドロドロのぬかるみの中でさえ、目を凝らして、ちっちゃく光る幸せの砂金を見つけてやろうと強く思い続けている限り、人生に失敗なんてないと私は思ってる。


人生はもともと真っ白いスクリーンみたいなものじゃないかと思う。


生きるのは怖い、人は怖い、と思いこみすぎたら、本当に怖い妄想を引き寄せて、ホラー映画をスクリーンに映し出してしまい、現実をホラーにしてしまう。


いまはつらくても 常に幸せのほうをむいていれば、やがて幸せの映像が心のスクリーンに映し出されて、

現実になっていくと思うんだけどな。

 



 マイケルジャクソンに続いて、ホイットニーヒューストンといい、一時代を築き上げたポップ界の女王が亡くなった。とりわけ、ホイットニーヒューストンは私が学生時代の時に全盛期だった。


 同級生たちがアイドル誌をかかえてジャニーズタレントの話題ばかりだったなか、私はもっぱら「ロック・ライフ」を抱えて ちょっとマニアックな隣のクラスの男子生徒らと MTVやポップスについて情報交換していた。

 このころ同時に、国文学のような美しい歌詞が好きで「さだまさし」も聞いていたのだから、子供の嗜好はわけがわからない。


 私は英語も分からない癖に米軍向けのラジオ岩国放送 (FEN IWAKUNI) を聞き、「アイム ケーシーケーサム」をやたらと繰り返すDJの「アメリカントップ 40」を聞いて ポップスを聞くのが大好きだった。

 いつか英語をマスターしてアメリカに行ってみたいとドキドキしていたものだ。


子供の私にも「この人の歌は なんかすごい!!」と心をゆさぶったのがホイットニーヒューストンだ。

言葉は通じなくても歌で感動したのは、カーペンターズのカレン以来だった。なんという伸びやかな歌声、表現力、一曲歌い終わるごとに、演劇を見たかのような感動が押し寄せる。


そんなホイットニーヒューストンが、48歳で亡くなったなんて。まだ信じられない。


しかも、才能も、チャンスもお金も名誉も、すべてをほしいままにしながら、晩年は悲惨だったようだ。

1億ドルものお金を湯水のように使いはたして、友達にお金を借りるほど自己破産寸前になっていたという噂。


1億ドルって、76億円 どうやったら使い果たせるんだろう。凡人にはわからない。


そんなにあったら、私の壮大な夢もあっさり叶いそうだ。

ちなみに私の夢は、「親の経済的な理由で 行きたい学校にいけない子のために、奨学金をつくる」っていう夢を掲げてるのだけど 


でも彼女は 天性の歌声で お金には変えられないほど 大きな夢や癒しを 世界中に与えてきたんだろうなと思う。 彼女は大切なお役目を全うして この世を卒業したのかもしれない。


神様はときどきものすごく大きな才能を ひとりに背負わせることがある。

それがあまりに大きいと、ときおり自分の人生をも飲み込んでしまう 巨大なハリケーンになってしまうんだろうな。


お金があれば、幸せですか? 名声があれば、才能があれば、美貌があれば幸せですか?

結婚できて子供が産まれたら幸せですか? 欲しいものがなんでも買えたら幸せですか?


ホイットニーヒューストンは 何があったら 精神安定剤やドラッグに頼らなくてすんだのだろうか。


心の平穏はどうしたら得られたんだろうか。


地に足付けて、踊らされず、卑下もせず、等身大の自分をしっかりと見つめ続けないと、そこにある「幸せ」は通り過ぎていくんだろうなと思う。



今朝 たまたま入った喫茶店のモーニングのトーストが 香ばしくて美味しかっただけで、1日中ご機嫌で

「今日の私は運がいいなあ」って幸せに感じてる私って、ホント小市民だなあ。


でも まあ「幸せ」はたくさん見つけられるほうが、人生おもしろい。

私の友達は長く付き合ってる彼がいる。そして とても彼に愛されている。


彼女にうまくいく秘訣を聞いてみた。


すると、彼女はこう言った。


思ったことは溜めずにすぐに伝えたほうがいい。気に入らないことは我慢したりスル―したりしないで、ちゃんと伝える。喧嘩になってもいい、と。そして喧嘩のしかたにコツがあるのだという。



「でも、私たちの中でひとつだけルールがあるの。

それは、必ずその日のうちに仲直りしようねっていうこと。翌日まで持ち越さない。

だから、11時くらいになって眠くなってくると、

「ごめん、私がいいすぎた」「あ、俺もいいすぎた ごめん」

と仲直りして終結することが多いの


私の方が感情的ですぐカッとなって、彼が大人なので、たいがい私が謝ることになるんだけどね。」


といって無邪気に笑った。


なるほど。


私の場合は どちらかというと、多少のことは我慢したり 気を使って言葉を飲み込んでしまうタチだから、喧嘩になることはない。気まずいムードそのものに耐えられないから、カチンとくることがあったとしても、すぐに頭で分析して気持ちを整理し 忘れようとしてしまう。


気まずいムードになると黙っちゃうとか、話を変えたり、おちょけてごまかして逃げるという悪い癖がある。



でも、言わないで腹にしまうってことは、「怒り」という感情が消えるわけじゃないから、どこかに溜まって 必ず相手に伝わる。


「こいつ、なんで怒ってるんだ?なんか悪いこと言ったか俺?」みたいな。


そして「心を固く閉じてる」という感覚が伝わって、締め出されたような淋しさを相手に感じさせてしまう。


そうやって怒りを抱えたまま感情的に引きこもってしまうと、笑顔もでなくなってしまって、いいかげんに相槌打ったりしてしまう。


相手にとっては、急に目の前の相手が自分に対してシャッターを閉めてしまったような疎外感を感じるだろう。

それはそれでひどい攻撃をしていることになる。



あなたはいいね、いいたいことが素直に言えて。

オープンマインドで付き合えるってお互い楽だよね。

と私が言うと、彼女はこう言った。


でもね、この私だって、彼のことが大好きだったから、付き合い始めのころは喧嘩したら失っちゃうんじゃないかって、気になることとか言わずに我慢してたんだよ。と。



そういえば、私の周りにいる仲のいい夫婦は わりと新婚の時にさんざん喧嘩してることが多い。



喧嘩も相手を全否定したり、傷つけるような言い方をしないで、追い詰めることのないように気を使いながらやれば、ちゃんとしたコミュニケーションになる。


仮に感情が暴走して やりすぎちゃったりしても、許し合う気持ちがあれば、また寄り添っていける。



家族って、一番感情が出やすい。

社会に出たらちゃんと大人になれるのに、家族相手だと大人げない自分になってしまうし、なぜかムカつく。

そうやって、大切な人には腹を見せあって 許し合って、絆をつくっていけばいいんだろうなと思う。



大事な人には、ちゃんと自分の気持ちを伝えること、(相手を傷つけないよう上手にね)


「こういうの、好きじゃないな」とか「こうしてくれたら嬉しいんだけどな」と自分のニーズを上手に伝えることをめんどくさがらない。


喧嘩したって、その日中に仲直りしたらいい。


そういう斬り結ぶような喧嘩でさえも 怖がっちゃいけないんだなと 彼女に教えられた。


男性に愛されて幸せをつかむ人って 自分に正直で可愛い。彼女を見てそう思った。


やっぱり性格的に 感情的に喧嘩するのは苦手だけど、いいにくいことを上手に伝える練習しようと思った。

  東京で社会保険労務士として大成功を収めている人に会った。


 40歳で、3人家族。 この不況下で、月収が100万を軽く超える収入だという。でも、ぜんぜん偉そうにしたりしないし、華美な暮らしをしているわけでもない。


 子煩悩なパパだけど、子供に贅沢三昧させたりしてるわけではない。

 でも、決してケチなわけではなく、友人知人のピンチには、どこへでもフットワーク軽く飛んで助ける。


人に対して垣根が無く、どんな人にも興味を持って話し、真剣に話を聞き、困っていたら助けようとする、そんな性格だ。めんどくさいタイプの人も、その裏側にあるねじれたコンプレックスなどを推し量って、優しく接する器の大きさがある。人間みんな平等。彼は本当にそう思っている。



 「どうやって成功したの?」と聞くと、彼は「運が良かったんだな」と答える。

よくよく聞くと、彼は周りに助けられて成功したのだと言う。


 彼は高校の時、全国的に有名な超エリート高校に入学したものの、そこの校風があわなかった。

内申点や、成績で身分が決まる。先生に逆らったら生きてはいけないスパルタ主義の学校だった。


 生来、正義感が強かった彼は、学校でいじめにあっている子を助けて喧嘩をした。理不尽に暴力をふるう先生に対して、真っ向から抗議して殴られもした。

 しかし、残念なことに かばった子たちから裏切られたという。その子たちも、先生からのよい内申点が欲しいからだ。


「そんなの悔しいじゃん!」

私も中学1年生の時、助けた子に裏切られて、苦い思いをしたことがあって「正義感」ってなんなんだろうって悩んだことがあった。


それでも、彼はさらりという。「それでも人を助け続けるんだよ」

自分の美学に従って、見返りを求めず、助けたんだよ。そうしたら、お前はおかしいと周りに言われ、先生からは、反抗する生徒と目の敵にされ、自分が間違っているんだろうかと 心が追い詰められておかしくなりそうになったこともあるという。


彼は思いきってそのエリート高校を中退して上京した。

しかし、どんなに就職をさがしても学歴を見られ、どこにも採用してもらえない。

彼は学歴社会の壁を思い知った。 日本社会での「肩書」の大きさを思い知った。

「本当の俺は、見ようとしてもらえないのか!」と怒りに震えながらも、苦い現実を受け入れた。そこが偉かった。


彼は大学卒業の資格をとるために勉強をはじめた。そして、勉強して資格も取った。


そして食べていくために営業をはじめたが、どこも門前払い。

でも彼は、諦めなかった。

報酬はもとめずに、赤字覚悟で仕事をさせてくださいと頼みこんだ。


ほぼタダ同然の金額で、クライアントのために一生懸命働いて、ようやく認められるようになった。

「赤字なんだろう? いくら欲しいかいってみろ」

言われて、お客さんも紹介してもらえるようになったという。


彼はいう。

「もらう金額以上に、いい仕事をするというのは当たり前だが、儲けてやろう、有名になってやろう、という動機でやらなかったことが良かったんだと思う」


社会的に困っている人を 自分の知識で助けてあげたい、という思いと 誠実さが伝わったんだと思う。


「なんでこいつは、こんなに誠実にやってくれるんだろう? こんなやつを潰すわけにはいかない」


そう思って みんなが力を貸してくれたんじゃないかと彼は言う。



「何かを1から始めるときって怖くない?」 って聞いたら、「そりゃ怖いに決まってる」と彼は笑った。

でも、人間何かをやるときは、覚悟と強い志が必要だと言う。


たとえば 暗い海の上を綱渡りしている感覚だと言う。

うっかり落ちてしまったら、下の海に落ちるかもしれない。でも、暗いがゆえに、その海の海面が 1メートル下にあるのか、100メートル下にあるのか、まったくわからない。


下手したら落ちたら即死になるほどのリスクかもしれないという。


それでもやるんだ!という覚悟があるか、あるならチャレンジすると腹を決めること。


条件が整って、失敗した時の逃げ道を用意して、命綱をつけてから、安全を確認してから歩き出そうとすると、

怖くてなかなか歩けなくなるという。


もちろん、無防備に独立して起業したらいいというわけではない。


ただ1000万くらいの借金を背負うことになるかな、とか最悪の事態も計算して、それでもやる覚悟をもっているかということらしい。腹決めというのは、そういうことなんだろう。


そして、彼がその恐怖に打ち勝てたのは、「志」があったからだという。


「自分が何のために生まれてきたのか」「この世で何をして死んでいくのか」という

人生哲学的な問いにつながる志が。

「自分の知識で、泣き寝入りしている人を助けたい」


現代の「サムライ魂」を感じた。



そうして 身を粉にしてやっているとき、人はブレない。気がつくと応援団が増えてきて、お金があとからついてくるというのが彼の持論だ。


だから、彼はお金にも地位にも執着しないで、ブレずにいられるのだろうと思う。

ふと気がつけば、彼を嘲笑った超エリート高校の同級生たりよりもずっと高い収入を得ている。



ビジネスにしても、何にしても、成功する条件は「人に役に立とう、人を喜ばせよう、人を助けよう」とする精神なんじゃないかと思う。


彼だけでなく、きっと大きく成功した人は 子供のように純粋にそれを生きがいにしてやっているのかもしれないなと彼を見て思った。


とはいえ、人間だから、打算もある。 心の底からそう思ってやることは難しい。



彼の場合、きっと、若い頃にどん底を経験しているからこそ、 学歴や世間の評価やお金が 一種の幻想であることを知っているんじゃないだろうか。


だから しがみつかない。また、同時に 幻想にしがみつく人も冷静に受け入れることもできる。


「最後は自分を信じること。 

自分を信じるためには 何度もトライして這い上がってきた小さな成功体験の積み重ねが必要なんだ。

失敗を恐れず、思考錯誤、チャレンジし続けること。まさに経験は宝だよね」


彼は力強く そう言った。


私も「そうだね、人生に無駄な経験なんてないよね」と深く納得した。


もうひとつの「神様のシナリオ」をここに見た気がする。








私が書いた小説の「神様のシナリオ」(講談社)にでてくる、お菓子屋さんのモデルは、広島市南区皆実町6丁目にあったポピーハセガワだ。 鷹の記念碑がある小さな公園の前にあったお菓子屋。


神様のシナリオはいつもハッピーエンド


2009年の2月に廃業したからいまはもうないが、ずっしりと重いジャンボエクレアと アメリカのお母さんのホームメイドみたいな手作りクッキーやレモンケーキが評判で、「神田の日めくりテレビ」とか、RCCラジオなどで何回か紹介された。


和菓子と洋菓子 両方作っていて、小説に出てきた花びら餅や、苺大福、羊羹 シュークリームもよく売れた。

父が年をとってきてからは、クッキーとエクレア 羊羹くらいに品数を減らしていたが、それでも ジャンボエクレアは 作れば売り切れる大ヒット商品だった。


神様のシナリオはいつもハッピーエンド


いつもそこから公園を通って皆実小学校へ行った。店から父が、3階の窓から母が手を振って、振り返るといつでもふたりはそこにいて、手を振ってくれていた。


父はお菓子が好きだったわけでも、お菓子屋さんになりたかったわけではないけれど、弟や妹たちのために勉強が好きだったのに進学を諦めて丁稚奉公にでた。たまたまあった丁稚奉公先が菓子職人の道だった。


それでも、父は愚痴も言わずにひたすら修業に明け暮れて、下働きしながら先輩の仕事を盗んで覚えて、親の仕送りなどもなく 孤独に耐えながら手に職をつけた。


少しずつ貯金をして、借家ではあったが自分の店舗を構えた。

年中無休で朝から夜の11時まで店を開けた。クリスマスなんかは、「神様のシナリオ」にかいたとおりだ。


父の口癖は「負けてたまるか」だった。苦労して生きてきたんだろうけれど、過去を振り返るようなことは一切言わず、私が培った取材能力をして聞きだそうとしても 苦労を語らなかった。


今から思えば、きっと語りたくないような辛いことがいっぱいあったんだろうと思う。


仕事がひと段落つくと、囲碁の本を片手に碁盤に向かって、背中を丸めてお酒を飲むのが唯一のストレス解消だったようだ。

飲み屋に行くとか、カラオケやパチンコ、温泉など およそ娯楽と言うものは一切しない。まさしくザ・昭和な父親だった。


文章を読むのは好きで、新聞の小説を毎日楽しみにして読んでいた。私が小説を出した時はことのほか喜んだ。


病床で母親に「由紀の本を呼んでくれ」と、かすれる声でいい、目をつぶって黙って聞いていたと言う。

そこには 若かったころの父がいる。母がいる。私がいる。 家族の歴史があったからだ。


握りこぶし二つ分くらいある、ジャンボエクレアが人気だった。

私が、大きすぎて食べきれないと言って反対したが、「でっかいことはいいことだ」などと、ダイエット志向の時代と逆行するようなことをいい、頑として聞かなかった。


そのあと、メガ食品ブームが来るのだが、ある意味父は時代を先取りしていたのだろうか。


父は、たまたま縁があった菓子職人の道を死ぬまで貫いた。 




そんな父の一生を見ていると職業ってなんだろう、と思う。


いまは就職難で大変だと言う。 好きなことができないからと会社をやめる若者がいる。

好きなことをしてワクワクして仕事をするのは素晴らしいことだと思う。


だけど、最初から好きなことに出会える人なんて、どのくらいいるんだろうか。


嫌いなことをやったり、我慢してもう嫌だ!と爆発しそうになった時、実は あ、こういう部分は好きかも・・・と思えるパーツをみつけたりもする。


父は甘いものはまったく食べないけれど、お菓子の研究はよくしていた。

亡くなったあと、マカロンとか、いままで作ってない分野のレシピをみつけた。


死ぬまでチャレンジ精神を忘れないで、仕事をしていた。あの根性はどこからくるんだろう。

たまたまなった菓子職人だったけれど、きっと父は植木屋とか、寿司屋でも、いやサラリーマンでも仕事を愛したんじゃないかと思う。


「負けてたまるか」といいながら、とことんやる人だったから、途中で諦めたり もうダメだなんて言うことはしなかっただろう。 雑草のごとく、生き抜いた昭和の男は強い。


父に「自分の才能を発揮できる所で、楽しく仕事したい」なんていってたら


「あほう、甘い事いうとったらいけん。何が自分の才能か、やってみんと分からんじゃろうが!」

と叱られていただろう。


「金をもらっとるんじゃけえ、楽しくなくて当然じゃろう!」というだろう。


それでも父だったら、とことんやって 自分だけの「楽しみ」を 仕事から掘り起こしていたように思う。


働くとは・・・ 


入り口はなんだっていい。


とことんやって、やっと垣間見えてくる世界を見ること。

私が「神様のシナリオ」で言われたように 


「すぐに諦めるな。 とにかく好きになるまでがむしゃらにやってみろ、


それでも、どうにも嫌だったら、それはお前には向いてない職業だ、嫌なものがわかっただけ 「己を知った」ということ 決して無駄ではない」

 



そうして、ひたむきに追求していくうちに、自分が本当は何者なのか、何をするために生まれてきたのかがわかるのかもしれない。


そんな父の作った、無骨なジャンボエクレア。もう一度食べたかったなあ。

それでもブログに書いてくれているお客さんがいて、「ポピーハセガワ」で検索したら、写真をのせてくれているブログにいくつか出会えた。 ブログってタイムマシーンみたいだな。


父は生まれて「美味しかった」という思い出を残して、この世を去った。

だから私は父の戒名に 「菓」という一字を入れてもらった。


お菓子で人を幸せにした人だから。


娘の私は 文章で、映像で、人を幸せにする人になるのが夢だ。