自由に生きる事っていいますが、
その定義について深く考察して見ると(^^)
職業とかは余り関係がないように思えます!
学生さんもいるでしょうし(^^)
もちろんその職種が自分に合っていない人は、
痛みや苦しみを感じているので、自由ではない!
と言う定義になってくるでしょうが......
そもそも論になりますが、職業が何々じゃないと自由ではない!と
考えていることこそが、自由に生きていない証拠なのでは???
と感じますがいかがでしょう?
職業における選択とは、自分の意思に基づいて行うことが
望ましい!で良いと思うのですが、収入やステータスなどで
選択することは、不自由な生き方をしている人の典型的な例で
あると言えるのではないでしょうか?
何がやりたいでもいいのですが、それから何を見出していくか?が
とても重要だと感じています。
既存の価値を捉え直して、新たな価値の創造ですね!
例えばビルのお掃除の仕事をしていました。
いつも通りきれいに仕上げて帰ろうとしましたが、
何かエントランスが殺風景な感じがしたので、
管理人さんに許可をもらって、余っていた観葉植物を
いい具合に置いてみたら、とてもシックリ来ました!
みたいな事だと思うんですね(^^)
日本の料理人が言う一手間を惜しまない!の真髄は、
新たな価値感の創造につながっているわけです!
本質的には、その見出し方が自由に出来るか?出来ないか?
ということに帰結していくのではないでしょうか?
感じることは、自由に生きるということはステータスではないよ!と...
社会的認知や成功というのも既存の形に迎合することでもなければ、
ましてや雑誌やメディアで取り上げられていることをなぞることでもなく
自分自身を深く深く掘っていきながら、そこにあるものを等身大で受け止めて、
ちょっと嫌な場合は許してあげて、好きな場合は膨らましてあげる(^^)
ということをしているか?していないか?ということになりますよね♪
自由に発想でき、自分の主体的な考えに基づいて生きること!
であり、自分の人生をしっかりと毎秒意識しながら生きることが
自由に自分の人生を謳歌するための本質じゃないか?と思えるのです。
つまり言い換えるならば、憧れだけで自由人を装っているのか?
それとも自由な生き方の本質を進化させながら太い根を張り続けているのか?
本物か?偽物か?という所が重要かな?と思います。
上辺を取り繕う生き方は、やっぱりかっこ悪いと思うし、
その辺を曖昧にしないで、キチッと精査していくことで、
日本人一人一人が自分にしか出来ない自分の人生の
主役として、大きな価値を社会にもたらすことが出来る!
と考えています!
それでは、また(^^)