Kizuna 1
絆で支えあう家族の話。
同高校避難所のある家族は、
ニュースでも割と聞く名の町からきていた。
とても静かな体育館。
1人の外国人の男性がこちらをちらちら
気にかけていてハッと気付いたのが出会い。
こちらにもアメリカからの記者がいたからだろうか。
イギリス出身で、とても穏やかな口調の、
背の高いその男性は静かに、とても紳士に話をする。
高校でALTとして英語を教えていた彼は
地震後奥さんと子どもたち三人なんとか集合して
歩いて逃げはじめた。
数時間。
ある山までたどり着き、
じわりと事の深刻さに気付いたという。
しかし彼がまた驚くのには、
日本人の冷静さだった。
パニックで街中が大騒ぎになるわけでもない。
ケンカなどの事件が起きるわけでもない。
尊敬に値するものだと。
なんだろう。
こんなにも日本人は強いのにね。
"Do my best."
地元市内の避難所へ行ったときの話。
体育館を避難所として提供する高校。
地震が起きて4日目の当時、雨がしっとりと降り注ぐ中
屋内も、とても穏やかで静かな空気が流れていた。
ほんわかと昼食の弁当と石油ストーブの香りが漂う。
大きなニットのセーターを着て入口受付に立つ一人の男性。
私たちが受付に取材をお願いすると、その男性の下へと連れて行かれた。
彼は突如の取材依頼にもかかわらずお願いを快諾してくれた。
話によれば、彼は普段高校の教頭先生として働いている。
おそらく生徒や先生からの信頼も厚くて誠実な雰囲気が伺える。
「高校も、もちろん教職員もみんなこんな災害ははじめてで、
何をどうすべきか全てが手探りの状態なんです。
慣れるまでは教職員も会場から目が離せないけれど、
でもスタッフと一緒に、今は目の前のことに対してベストを尽くすのみです。」
災害発生早々に避難所として会場を提供。
少しずつ体制にも慣れ、避難者の様子をうかがい知ることができている。
同じ県民として、原発の不安を抱える避難者の心を想い、
心身ともにケアをしていくために、より過ごしやすい環境をつくっていくために
心を尽くしているのだと私たちは尊敬の念を抱いた。
本来の職務ではない「災害コーディネーター」
それがたとえ本来の職務ではなくても関係ない。
彼を筆頭に温かく強い心で動いている人たちがいる。
thank YOU!
仙台バス車内より。
今週、私は今回の地震の被災地の取材に同行。
家を失い、
大切な人を失い、
思い出を失い、
多くを失った人達に会うことや
荒れ地のように変わった町並みを見ることはとても覚悟がいる。
なんと表現したらいいだろう。
これからしっかりと見たもの聞いたことを振り返って
忘れないようにしたい。
出会った全ての人々を決して忘れない。
