全国で信仰されている神社は?
ベスト10は、こちらです。

1)八幡信仰・・・・・・7,817社
2)伊勢信仰・・・・・・4,425社
3)天神信仰・・・・・・3,953社
4)稲荷信仰・・・・・・2,970社
5)熊野信仰・・・・・・2,693社
6)諏訪信仰・・・・・・2,616社
7)祇園信仰・・・・・・2,299社
8)白山信仰・・・・・・1,893社
9)日吉信仰・・・・・・1,724社
10)山神信仰・・・・・・1,571社


今回は、5番目に多い「熊野(くまの)信仰」について、ご紹介します。

祭神は、家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ) 素戔嗚尊
     速玉之男神  (ハヤタマノオオカミ)  伊邪那岐大神
     熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)伊邪那美大神

熊野信仰の本源は、和歌山県にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社です。
この祭神を祀っている、地名を冠した熊野神社、熊野神社、十二所神社、十二社神社、十二神社などの社号で呼ばれています。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の各祭神は、神名の漢字表記が異なっているところはありますが、
「熊野十二所権現」と呼ばれる、12柱の神々になります。
奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名が配されています(後述)。

熊野神社の祭神は、国産み神産みをされた、伊邪那岐大神、伊邪那美大神と、その御子の素戔嗚尊です。

熊野では、一般的に知られている神名表記(伊邪那岐大神、伊邪那美大神、素戔嗚尊)ではありません。
熊野で、昔から伝えられていた神名なので、違う神様では無いのか?という説もあります。




熊野速玉大社の摂社「神倉神社」の御神体の巨岩(ゴトビキ岩)と拝殿


御利益は、大願成就、厄除け です。

熊野信仰は、当初は天皇、貴族などの上流階級に支持され、貴族の「熊野詣」が盛んでした。

その後、貴族が没落する平安時代末期、鎌倉時代などから、徐々に庶民にも広がっていきます。

「蟻の熊野詣」と言われるぐらい、参拝者がこぞって参拝していました。
昔から「これをやっていきます!」と決めた人達の、あと押しをされてきた神々になります。

また主祭神の「素戔嗚尊」に祈願すれば(八坂神社などの祭神でもあり)、

人間に降りかかる災いを無くす、もしくは災いが軽くなると言われています。


熊野は、古事記、日本書紀に書かれているように、他界信仰の聖地と呼ばれています。
ご祭神の1柱、伊邪那美大神が、熊野の有馬村「花窟」に葬られたという日本書紀の伝承があります
(現在、三重県熊野市有馬町に所在する花窟神社です)。
素戔嗚尊も、最終的に他界に行かれたと記されています。

そのため、この熊野にお参りに行くことは「他界訪問」になり、「(1回死んで)生まれ変わる」と言われ、
新しいことを始めるきっかけが得られる、人生のリセット、人生を見直すなどの効果も得られます。
これも熊野に惹きつけられる要素になっていると思います。


また熊野は、神仏習合が盛んで、12柱の神様には、12の仏の名前があります。
日本の信仰形態は、かなりおおらかで、仏教が日本に伝来した時も、新しい神々が海の彼方からやってきたという感じで、
八百万の神々の1つに加えられました。

ただ、一般的に宗教というのは、どの神様の神威が強いのか?というのを、
信仰する側も気にする為、

仏教側の布教の一環として、

「日本の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現である」

という考えを説明するようになりました。こういう考え方を「本地垂迹説」と言います。

このように、神様と仏様を調和させ、1つの神様として同一視する考えを神仏習合と言います。
この説も、時代と共に変化し、「反本地垂迹説」や江戸時代の国学の復興などがあり、
明治時代に、この考えを改めるために「神仏判然令」が出され、
この神と仏が習合された状態が、元の状態に戻りました。

熊野では、どちらの信仰も残っているので、戦後、現在の状態に戻っています。



熊野本宮大社の旧社地 大斎原にある大鳥居


祭神は、
    
家津美御子大神(素戔嗚尊)     阿弥陀如来
速玉大神(伊邪那岐大神)    薬師如来
夫須美大神(邪那美大神)      千手観音

という仏名があります。

最後に、熊野と出雲は、地域が違うのに、地名や神社が似ているという指摘があります。
出雲にも他界信仰があります。

次回も、この信仰の対象となっている神社、祭神名を紹介していきます。