境内にある

 

立て札 若宮神社 御祭神 若宮神


若宮神社は、通常、主祭神の子が祀られていることが多いのですが、
速秋津日子神、速秋津比賣神の子どもとして、天水分神が祀られているようです。

 

伊勢神宮のHPでは、「ご祭神は詳らかではなく、天水分神(あめのみくまりのかみ)との伝説が残ります。」とあります。
 

元伊勢というのは、もちろん場所によるのですが、既に何かしらの信仰が存在していた神社が選ばれているケースもあり、その場合は、主祭神が天照大御神に変わってしまったところもあります。ところが、境内にある、摂社の祭神までは変わっていない場合、主祭神との関係が「?」になってしまうのです。人間の都合によって、信仰の対象が変わるのです。
特に中世は、伊勢信仰が広まったこともあり、集落の人々が望んで、祭神の変更をしたことも多かったと思います。


この「天水分神」の神様は、山から各集落にある田にきちんと水を分配する神様です。「秋にお米が取れますように!」と祈る「祈年祭」では、重要な役割を果たす神様です。


長由介神社(ながゆけじんじゃ)と川島神社(かわしまじんじゃ)は、同じお宮に同座しています。祭神は不明です。
ただ、「ゆけ」という表記なので、御饌の神(みけのかみ)=食事の神さまと考えられます。

 

長由介神社 御祭神 長由介神、川島神

 

主祭神との関係から言えば、外宮の豊受大神ではないかと考えられます。

 

前回紹介した『倭姫命世記』は、倭姫命の一代記といった形を取りながら、伊勢神宮(内宮と外宮)の鎮座の由緒が書かれています。

これは、
第10代の崇神天皇の時代に、三種の神器のうち、特に「鏡」の神威を怖れて、今まで皇居内に置いていたものを、皇居外に持ち出すことになります。そして、鏡と剣は、紆余曲折を経て、伊勢神宮に落ち着きます(その後、剣は日本武尊によって持ち出され、熱田神宮に鎮座します)。

崇神天皇の時代に、皇居外で祀っていたのが、皇女の豊鋤入日売命(トヨスキイリヒメミコト)です。

次の第11代垂仁天皇の時代に、豊鋤入日売命の役目を引継ぎ、倭日売命(ヤマトヒメノミコト)が、伊勢神宮まで鏡と剣を運びました。

現在では、「倭姫命世記」は史実ではないと考えられています(伝説だとされています)。
中世に伊勢信仰が流行りましたが、その時に、伊勢神宮をより権威づけることを目的に、この「倭姫命世記」が作られたようです(奈良時代の作としていますが、実際は鎌倉時代後半に作られたと考えられています)。

とはいえ、私個人としては伝説だとしても、現在の場所に伊勢神宮がたどり着くまでの壮大なストーリーがありますので、その足跡をたどってみたいと思います。
元伊勢ですから、古社なのは間違いありません。地元に人達に崇敬され続けた神様がいらっしゃる神社ですから、素敵な神社が多いことでしょう。

興味のある方は、「倭姫命の御巡幸 著者:楠木 勝俊 出版社:アイブレーン」という本が出ていますので、これを見ながら、旅をすると面白いと思います。

 


参道を歩くだけで、力がみなぎります


ちなみに、この瀧原宮の駐車場には、道の駅奥伊勢 木つつ木館があります。地元で作られた家具が販売されています。雰囲気の良さそうな家具がたくさんありました。

 

ここは、また参拝に行きたいと思います。

次回も、参拝記録を紹介していきます。