「階」
Amebaでブログを始めよう!

箱根駅伝予選会

20080605180430.jpg
さて、やはりみなさんが注目する箱根駅伝の話を。
前回大会の選手からみた視点での箱根駅伝の話しです。
箱根駅伝はおそらく日本で一番知名度が高い駅伝でしょう。これに出るのに命をかけてる人がほとんどで、日本中から有名選手が関東の大学に集結します。一度は出てみたい…。そんな思いをかけて。

その中で自分は、みんなとは少し違う目標を持っていたので、そこまで箱根駅伝に執着はなかったのですが、1ヶ月前となると雰囲気は別。メディアの取材やら駅伝雑誌の取材、選手以上に周りが盛り上がる。
その雰囲気もあってか気持ちは少しずつ箱根駅伝に向いてきたんです。
そしてもう一つ箱根に出たいと思った理由は、予選会での失態。
箱根駅伝予選会は12人走り、その中の上位10人の合計タイムを競う。この時自分は上位の方で帰ってこなければいけないはずが、かなり体調が悪く11番目という悲惨な結果に。終わったあと悔しくて悔しくて仕方なかったが、この借りは本番で返すと誓った。


続く…

最近は

少し時間がなくて更新出来ませんでした。
さて、やめてからですがいちをアルバイトしてます。
人生初バイトです(笑)今までずっと走ってたので当然といえば当然なんですけどね(-。-)y-゜゜゜

なかなか楽しんでやってます。
今箱根の予選会のことや箱根駅伝について書いてるんですがしばしお待ちを!

選んだ訳Part2

そうです、暇なんです、ごめんなさい。


ということでPart2



中学時代で人生はころっと変わった。姉の入院期間が2年ほどだったかな。その期間の俺は正直かなりの問題児。

髪の毛を青に染めてみたり、学校での生活態度は相当な「悪」だったに違いない。(ただ、犯罪は一度もしなかった)一つグレた原因がはっきりしているのは、中学に入ってすぐ姉が入院したので、俺は今まであった晩飯というものを無くした。重い病気なので親は付きっ切りで看病し、相手にしてもらえず、姉がもう1人いたがそれも同様に返ってきたら病院へ直行。

返ってきたらいつも机の上には1000円札が1枚置いてあるだけだった。

誰もいない家に1人でずっといるのは、中学生の俺には結構な苦痛だった。だから学校で悪さすれば親が来てくれるんじゃないかということも考えていたのかもしれない。(こうやって子どもはグレていくんだな~、ウンウン)


その後姉が亡くなってからのおれは悲しさを晴らすために頑張ったというよりは、陸上競技が楽しくて周りは何も見えてないくらいにのめり込んだ。無我夢中という言葉がまさにぴったり。

おかげさまで推薦はたくさんのところから打診があったが、大阪で育ててもらったので高校も大阪の高校にしないかという先生の言葉もあり、清風高校へ行くことに。

清風高校は、知ってる人も多いけども体操の名門校。(池谷兄弟やあん馬世界一になった鹿島選手など)そして、今最も話題のこの男「石井 慧」の出身校。実は同級生で、席は隣。

一言だけ言わせてもらうと、あいつはほんとアホです!ほんとに・・・。もう高校時代の悪さを全てぶちまけたいけど置いといて・・・。(だけど、1つ彼のすごい所というか悲しい所は生まれた時から彼の進む道は柔道しかなかったことですね。柔道一家の家に生まれた彼の生きる道は柔道しかなかった。これがやっぱり彼を強くしたんでしょうね。だけどアホです!)


高校での陸上生活、これは悲惨なものになった。特にきつかったのは、監督との考え方の違い。どうしても中学校の顧問の先生と比べてしまい、常に監督とは衝突していた。そのため3年間思うような結果も残せず、高校駅伝は2回、全国都道府県対抗駅伝を2回走らせてもらったが結果が出せず。ただ、思った以上に大学の推薦は多かった。日大、山梨学院、日体大、順大、関西の大学多数(順大は何か昔に色々あって行けないって言われた気がする・・・。)実業団の推薦も4つほど頂いていた。

ただ、行きたい大学が来てない!そう法政大学。おれはこだわった。どうしても行きたかった。何故そこまでこだわるのかは、前回にも書いた徳本さんの影響が大きい。当時、サッカーあがりの少年には、ランシャツランパンの格好で走る生真面目な感じの長距離選手はひどくダサいと毛嫌いしていて、これは絶対着たくないというのが本音だった。(なので当時はどんなに暑い日でもランパンの下にスパッツをはいていた)

そんな時、TVで走っていたのがこの人。茶髪にサングラスでしかも超絶なスピードで走っていく。最初から最後までぶっちぎり。周りの選手を全く寄せ付けない圧倒的なスピード。もう一目惚れで、すぐに調べた。あれは誰だ、なんで茶髪なんだ、オレンジのユニフォームに合わせているのか、なんでサングラスなんだ、かっけえええ・・・と。

それから色々調べていくうちに、何故サングラスをかけているのか何故茶髪なのかということについての本音も分かった。そしてそのスタイルを許している大学の寛大さ、教えている監督にとても魅かれていった。(茶髪論についても今度書きたいですね)



その大学から来てない!まずい!

「先生、法政大学に行きたいので法政に合宿に行かせてください」

先生、目が点。

ということで高校2年の終わりに法政大学に行くことに。着いて、一番最初に監督に言った言葉は「僕の走りを見て決めてください」だった気がする。

知っている人も多いが、法政の成田駅伝監督は選手としても有名。昔、瀬古さんが無敵と言われた頃、「唯一瀬古に勝った男」としても名高い。そんな人によくもまぁぬけぬけと・・・。

しかし、帰り際には「ぜひうちに来てください」と言わせて見せた。(この時、わざわざ成田駅伝監督が。徳本さんを読んでくれて、とご飯を食べながら初めてお話しさせてもらった)


こうして、なんとか法政大学行きの切符を自力で手に入れた。




チャンチャン

まぁ、つまりあれです。自分にとって徳本さんはもう神のような存在だったんだと思います。ただ、やっぱり超えたいという気持ちもありました。入学後の話しはまた今度ということでノシ