2020/7/20




やっと仕事の休みがもらえた。最近は夜21時までひたすら働いて勉強していた。



そんな中三浦春馬が自殺したニュースを聞いた。









なぜ?








三浦春馬の中で何が起きてたのだろう。



数年看護師として働くと色んな人に出会う。



飛び降り自殺、飛び込み自殺、入水自殺



私が出会ったのは全部未遂だけど。






前に絞首未遂して今は内服で落ち着いてるという男性には出会ったことはある。




年末、その方のリビングウィルを聞いた。珍しく1時間かけて人の話を聞く余裕があった。





その方は奥さんに先立たれて自分の生きてる意味、働いてる意味がわからなくなったのだという。

今もオペを経て、抗がん剤や放射線を行なっている。なぜ行っているかといわれたら、医師が元気な時間を増やせると言われたから。だそうだ。



私「その元気な時間で何がしたいですか?」



患「ないんだよ。やりたいこと。先生や走看さんが生かしてくれてるのに。」




私「治療をやめたいですか?」



患「わからない。数年この病気と付き合ってきたけど、病気をする前と同じように生活できるのは今年中な気がしてきた。その時に治療をしたいかどうかは決めるよ。」



私「もしも病気が急に進行した時にやり残してることや、やりたいことはありますか?」



患「ないよ。でも最期は病院でこの病棟でみんなに看取ってもらいたい。俺、奥さんもういないから、信頼できる人ここの人たちしかいないんだ。これ、カルテに残しておいて。俺きっとあと半年したらトイレに行けなくなる。きっと自殺する体力すら無くなる。その時に別にケアの内容にこだわりは無い。ただ、息をここで引き取らせてくれ。」



私「今でも自身で命を断ちたいと思いますか。」



患「今はない。あの時は誰に話しても誰の話を聞いても何も救われなかった。何より自分自身が自分を許せなかった。何かをしたわけじゃ無い。SOSも出して病院にも行った。でも、この人生や今の状況にいる自分が自分を許せなかったんだよね。きっと今の走看さんもそう。みんな紙一重の所で自分を許容してる。俺は許容できずに否定した。今は自殺する体力もほぼ無いから大丈夫。走看さんや先生がくれてる命だし。みんなには迷惑かけない。」




そのあと色々な昔話を聞いた。亡くなった奥様のことも聞いた。若くして乳がんで亡くなったため、お子さんもいない。
天涯孤独になってしまった時に生きる意味がなくなったと。




自分を許容する。生きることを許容する。




三浦春馬もそうだったのだろうか。何か辛いことがあったのか。それともこの人生を許容できなかったのだろうか。


人生は人それぞれであり、誰の人生も共有できない。三浦春馬と私の人生は全く違い、見たり感じた事も違う。







彼は何を見て何を考えていたのだろうか。








それを知ることは出来ない。ただ、私たちは今生きてることを許容して生きている。







三浦春馬は人生で一度しか経験できない死を経験したのだ。彼は今、彼を許容できたのだろうか。
















走る看護師