(2019年2月のお話)

オークション中にシュレッダーに掛けられた、あのバンクシー(Banksy)の作品「愛はごみ箱の中に」が、バーデン・バーデンにて世界初展示されると云う事で観に行ってきました!





向かった先は、以前も訪れたバーデン・バーデンにある20世紀以降の作品を多く所蔵している「フリーダー・ブルダ美術館」。




バンクシー展は2019年2月5日〜3月3日まで無料で開催されました。



話題の作品だけあり、兎に角物凄い人・人・ヒト!




会場に入ると、ありました!


「愛はごみ箱の中に」By.バンクシー


シュレッダーに掛けられた事によって「風船と少女」改め「愛はごみ箱の中に」と云う作品名となったそうです。


思わず至近距離で凝視!


額縁の横面は、シュレッダーを内蔵してあるだけあり、ある意味不自然な程、かなり分厚かったです。


この絵がシュレッダーに掛けられたのは、ストリートアートであるバンクシー自身の絵が高額で取引される事への抗議の為とも云われていますが、真実はどうなんでしょうか。。。
また、一説によると、本当はオークション中に実際にシュレッダーによって裁断された訳ではなく、始めから裁断された絵が出てくる手品の様な仕組みになっていたと云う話も。。。




今回のバンクシー展は、基本的に「愛はごみ箱の中に」のみの展示でしたが、会場には他にも、今回の大元となった作品である「風船と少女」の他のバージョンや、類似した作品の説明かありました。

「風船と少女」の作品群は、パレスチナ問題やシリア難民の事なども取り上げていて、ブラックユーモアが多いバンクシー作品には珍しく「愛」や「平和」がテーマになっていると云います。


謎に包まれているバンクシーの経歴も掲示されていました。



こちらのジャケットもバンクシーの作品。





また、バンクシー自身が作品「風船と少女」の中にシュレッダーを仕込む様子から、オークション会場で実際に裁断されるまでのメーキング(?)映像(恐らくバンクシーのInstagramからの映像)や、














シュレッダーに掛けられているこの映像を初めて見た時は衝撃でしたよねぇ。。。







バンクシーの様々な作品を集めた映像も会場で上映れていました。
(こちらは恐らくバンクシーのドキュメンタリー映画からの映像だと思われます)

バンクシー(多分本人)
バンクシーの正体は謎に包まれたまま。。。「バンクシーは複数人」説もあります!




ステンシルの型紙を作る様子。












こちらは「風船と少女」の実写版!?
人形が空を飛んでます。







こちらは、世界の有名美術館にバンクシーが描いた絵画をゲリラ的に勝手に(!!)貼っている様子。






バンクシーの作品はステンシルの技法で描かれたモノが多いそうですが、こうして沢山の作品を見てみると、様々な技法の作品があるのが分かります。


反戦・反権威主義・反消費社会など様々なメッセージをブラックユーモア溢れるストリートアートによって人々に訴え掛け、痛烈に世の中を風刺しているバンクシー。

「ストリートアート」=「落書き」と云う扱いで、バンクシーの作品が「アート(芸術作品)」か否かと云う論争もあるそうですが・・・、バンクシーのベースにあるストリートアート然り、美術館に勝手に自分の絵を貼る事然り、今回のオークション中のシュレッダー事件然り・・・全て「お行儀良い」行為とは言えないけれど、世界中の人々に物凄いインパクトと様々な社会問題を考えさせる機会を作っているバンクシーは、やはりとてつもない才能を持ったアーティストだなぁと思います!!



狙ったかの様に・・・、美術館の出口には消費社会に警笛を鳴らすこんなメッセージが!(笑)
(※これはバンクシーが作ったドキュメンタリー映画の題名及びポスター)



年末年始のイタリア旅行ではエミリア=ロマーニャ州にあるモデナの街が最後の観光地だったのですが、家に帰る前にお土産を・・・と、モデナの名産品であるバルサミコ酢を買って帰る事にしました。


バルサミコ酢は1000年以上の歴史あるぶどうを原料とした果実酢で、昔からイタリアのモデナを中心とした一帯で作られ、貴族の間で代々受け継がれてきた高価な品でした。
モデナ一帯を治めていた有力貴族のエステ家も珍重した事から「公爵の酢」とも呼ばれるそうです。


今回、バルサミコ酢を求めるにあたって知った事ですが・・・、
何と、バルサミコ酢は
「バルサミコ風調味料」と、
「本物のバルサミコ酢」
の2種類が存在すると云う事実!!


「バルサミコ風調味料」は、スーパーやレストランで私達が気軽に手に取っている安いバルサミコ酢の事。
これは、樽熟成もせず、ワインビネガーやカラメル、保存料などの添加物が加えられて工場で大量生産されているものです。
普段、私がサラダを食べる時使っているのは「公爵の酢」ではなくて、まさしくこちらの「バルサミコ風調味料」なのね。。。まぁ、それも普通に美味しいですけどね。


そして一方、「本物のバルサミコ酢」とは、
基本
・煮詰めて濃縮されたぶどうの絞り汁(モストコット)が原料
・長期間、樽熟成される(添加物など加えていない正統派な作り方だけど、熟成期間は12年未満のものもある)
ものであり、
更に
「伝統的な本物のバルサミコ酢(アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ)」
になると
・最低12年以上樽熟成される
・ぶどう品種が決まっている
・作り方も決まっている
などと細かく法律で決められていて、
更に更に、
伝統的な本物のバルサミコ酢が「DOP(原産地名称保護制度)認定」をされるには
・「モデナ産」または近郊の「レッジョ・エミリア産」である事
と産地が限定されています。


日本でDOP認定された・伝統的な・本物のバルサミコ酢を求めようと思うと、25年熟成のもので(100ml)約2万円(!)と云う高価な値段になる様です(驚)。

また、イタリア国内でさえもバルサミコ風調味料ではない「本物のバルサミコ酢」は殆ど流通しておらず貴重なものなのだそう・・・!!

それを知ったら、バルサミコ酢の本場であるモデナにいてバルサミコ酢を手に入れない訳はない!


と云う事で、とっても貴重な「本物のバルサミコ酢」を求めて向かったのはモデナ郊外にあるバルサミコ酢醸造所。


「Acetaia Clara(アチェタイア クララ)」(クララの酢醸造所)です。
(クララさんは奥様の名前との事。)

実は閉まってるのも覚悟してダメ元で伺ったのですが・・・、タイミングよくご主人に会えてよかった!温かい対応に感謝です。



薪を燃やしてぶどうの絞り汁を煮詰める釜。
手作業で何十時間も掛けて煮詰めるのだそう。。。
煮詰めたぶどうの絞り汁は「モストコット」と呼ばれます。
このモストコットを栗・桑・樫・桜などから出来た樽に入れ、毎年別の樽に移し替えていき、12年以上熟成させて出来るのが「バルサミコ酢」です。
また、ぶどうの絞り汁を煮詰めたモストコットをそのまま瓶詰めした「SABA(サバ)」と云う天然の甘味料もあります。(炭酸水で割って飲むのがモデナ流だそう)

「バルサミコ酢」と「SABA(サバ)」に使われるぶどうの品種は違い、
「バルサミコ酢」には白葡萄のトレッビアーノや赤葡萄のランブルスコ、
「SABA(サバ)」には黒葡萄のアンチェロッタ
が使われているそうです。


窯の後ろに広がるぶどう畑。



バルサミコ酢の販売スペースがあり、奥様のクララさんが対応して下さいました。
15年モノや25年モノの伝統的な製法を守って作られた「本物のバルサミコ酢」が並んでいます!!
他にも、こちらも伝統的製法で作られた「SABA(サバ)」や、「胡桃のお酒(NOCINO)」などもありました。


こちらの醸造所「Acetaia Clara」さんは、多くの人に高品質の「本物のバルサミコ酢」を手に取って貰いたいと云う願いから、登録すると登録料が上乗せされバルサミコ酢の価格が高くなってしまうモデナの「DOP(原産地名称保護制度)認定」から脱退して敢えて登録せず、「本物のバルサミコ酢」を驚く程リーズナブルな価格で販売されていらっしゃるのです!

「DOP認定」の様な審査対象から敢えて外れた事で「伝統的な本物のバルサミコ酢(アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ)」とは名乗れないかもしれないのですが、こちらの醸造所のバルサミコ酢は、モデナで作られ、12年以上樽熟成され、伝統的製法を守った、DOP認定されているバルサミコ酢と同レベルの高品質なバルサミコ酢で、やはり正真正銘「本物のバルサミコ酢」です。
それを敢えてDOP認定を付けずにお手頃価格で販売して下さるのは、購入する者にとってはとても嬉しい!



15年モノ・25年モノのバルサミコ酢とSABA(サバ)、胡桃のお酒を購入しました(殆ど全種類・・・)。
(簡単な、でも分かり易い日本語の説明書も付けて下さいました。)
炭酸水で割って飲む他にリコッタチーズやヨーグルトにかけると美味しいSABA(サバ)は思わず何本も買い、朝食のお供になってます。

25年モノのバルサミコ酢は2種類あり、通常のモノと、ヒノキ科のビャクシン属に属する杜松(ねず)の木の樽で熟成されたモノ(「Ginepro」)があり、後者がうっとりする程香りが良くてそちらを購入。

バルサミコ酢は実は勿体無くて未だ開けてないのですが・・・、15年モノはサラダに、25年モノは肉や魚にかけるとよいのだそうです。
(因みにこの様な本物のバルサミコ酢は、余計な添加物がない為に開封しても賞味期限がなく常温で半永久的にもつのだそう!!凄い!)


また、食後酒によいと云う胡桃のお酒(NOCINO)は、ちょっとだけ舐めましたがこれまたとっても美味かったです!!
(アルコール度数は37〜38度と高いので注意です。。。)




こうしてモデナにて「本物のバルサミコ酢」(プラスα)のお土産をゲットし、大満足でドイツへ帰ったのでした。


(年末年始イタリアへの旅おわり)
エミリア=ロマーニャ州にあるモデナの街にも日が暮れてから少しだけ立ち寄りました。


モデナは、紀元前183年にローマの殖民都市としてエミリア街道に沿って建設されたのが始まりの歴史ある街で、12世紀以降にモデナ公国の中心となり、そして13世紀から2世紀半もの間イタリアの有力貴族エステ家の元で栄えた街です。

また、モデナはフェラーリの創始者エンツォ・フェラーリや、世界3大テノール歌手の1人であったルチアーノ・パヴァロッティの出身地でもあります。




「ピアッツァ グランデ」
(「大きい広場」の意味。実際は結構小さい広場なのですが、中世の時代には大半がもっと小さい広場だったと云う事でこの名前が付いた様です。)

ピアッツァ グランデにある
・「モデナ大聖堂」(左)
「トッレ・チヴィカ(市民の塔)」(左奥)
これらは、「モデナ大聖堂、トッレ・チヴィカ及びピアッツァ・グランデ」としてユネスコの世界遺産に登録されています。



「モデナ大聖堂」(正面)
モデナの守護聖人である4世紀に活躍した司教・聖ジミニャーノの墓が発見された為、1099年にこのモデナ大聖堂が建設され、棺が半地下の納骨堂に収められました。

一つ前のブログで書いた、サン・ジミニャーノの街の名前の由来となった人と同じ人物ですが、聖ジミニャーノは、サン・ジミニャーノの街ではなくてモデナの街の守護聖人なんですねぇ。。。
それはちょっと意外でした。

聖ジミニャーノの名前を冠している「サン・ジミニャーノ」の街についてはこちら。



偉大なテノール歌手であるルチアーノ・パヴァロッティのお葬式はこのモデナ大聖堂で行われました。



モデナ大聖堂には、周囲から発掘された古代ローマ遺跡の大理石や彫刻が使われています。
その一つである古代ローマ時代の「ライオン像」。
モデナ大聖堂を設計したのはランフランコと云う人物で、建物全体のデザインは、ローマ時代の建築を模したロマネスク様式となっています。


旧約聖書「創世記」より「アダムとイブ」などを描いたレリーフ(グリエルモ作)




暗いですが・・・
真ん中には「最後の晩餐」のレリーフ(アンセルモ・ダ・カンピオーネ作)

この様なレリーフは、文字が読めない人にも神の教えを伝える役割があったそうです。

サン・ジミニャーノの像



納骨堂

ここにサン・ジミニャーノの遺骨が納められています。


「トッレ・チヴィカ(市民の塔)」(奥)
高さ約86メートルあるこの塔は、何と、ピサの斜塔の様に少し傾いているそうです。
確かに少し傾いてます。。。

トッレ・チヴィカは、大聖堂と同じくランフランコの設計で1179年にロマネスク様式の5階部分まで建築され、その後、1319年にゴシック様式の八角形の尖塔(アッリゴ・ダ・カンピオーネ設計)が追加されました。
この尖塔に青銅から出来ている花冠の装飾(ギルランダ)があることから「ギルランディーナ」とモデナの人々から呼ばれているそうです。




モデナは「バルサミコ酢」や「パルミジャーノ・レッジャーノ」のチーズなどの名産地であり、そして、モデナが属しているエミリア=ロマーニャ州にはボローニャの「ボロネーゼ」、パルマの「生ハム」などと美味しいものが沢山ある事から、モデナの街は「食の都」と言われています。
この日の晩ご飯は、宿のご主人に教えてもらった地元の人達に人気のレストランに行きました。

宿のご主人には「ニョッコ・フリット(Gnocco Fritto)」と「トルテッリ(Tortelli)」がモデナの伝統料理だよとおススメして貰い、初めて聞く食べ物の名前に「一体どんな食べ物だろう!?」とワクワクしながらレストランへ向かいました。





席に着席し、オススメの2品と他にいくつか注文。


ニョッコ・フリット
ピザ生地に似た生地を薄く伸ばし油で揚げたエミリア=ロマーニャ地方の揚げパンです。
中が空洞でモチモチしていて、美味しくてパクパク食べてしまいました。
自分達でも単品で頼んだのですが、お通しで出てきました(汗)。
同じお皿に乗っているのは多分チーズのフライです。。。こちらも美味しかったです。


ポルチーニ茸のフライ
ポルチーニの風味はそんなに分かりませんでしたが・・・、サクサクして美味しかった!



ニョッコ・フリットとハムの盛り合わせ
ニョッコ・フリットは生ハムやハムを中に入れて一緒に食べるのがモデナ流の様です。

お通しと違って大きいサイズですが、中が空洞故に沢山食べちゃいました。
(油で揚げてるのでかなりのカロリーと思われますが。。。)


トルテッリ
ラヴィオリの様な食べ物です。
外側の皮を耳たぶの様に包む方法もある様ですが、こちらのお店ではシンプルな包み方でした。
中にはリコッタチーズとほうれん草を混ぜたものが入っていて、セージとバターソースで和えられています。
ハーブであるセージの風味がアクセントとなっていて、美味しかったです。家でも再現して作ってみたいなぁ。


豚ヒレ肉のバルサミコソース
こちらは、「やっぱりモデナに来たからには、モデナ特産のバルサミコ酢を使った料理を食べてみたい!」と云う事でチョイス。
食べてみると・・・コレはっ!!正に「西洋風酢豚」です!!!
しかも、添えられてるのはパイナップルならぬオレンジ!
まぁちょっと考えてみたら、バルサミコ酢は「お酢」なのだから、「酢豚」と似た味になるのは当然なのかも。。。


ドルチェもね。



モデナの滞在時間は短かったのですが、観光も出来たし、初めての美味しいモデナの郷土料理も食べる事が出来て、心もお腹も満たされました。


(つづく)


フィレンツェの次は、同じトスカーナ州にあるサン・ジミニャーノ(San Gimignano)の街を訪ねました。



サン・ジミニャーノの街は、中世に建てられた塔がひしめき合って建っているちょっと面白い景観の街で、この地区は「サン・ジミニャーノ歴史地区」として、ユネスコの世界遺産となっています。

サン・ジミニャーノと云う街の名前は、398年にここで亡くなったモデナの司教聖ジミニャーノの名前が由来です。


中世の時代、ローマへの巡礼路であるフランチジェナ街道とピサーナ街道が交差する交通の要衝だったサン・ジミニャーノの街は、9~12世紀にかけて、染め物の材料として重宝されたサフランの生産と交易で大いに繁栄しました。
栄華を極めた中世のサン・ジミニャーノでは、貴族が競って富と権力の象徴として塔を建てたのだそうです。




街の入り口「サン・ジョバンニ門」


メインストリートの「サン・ジョバンニ通り」



「チステルナ広場」

このチステルナ広場には、ジェラート世界チャンピオンのお店があるのですが、年明け早々だった為に開いておらず残念。。。食べてみたかった〜!



街中を歩いていると、塔を間近に見る事が出来て迫力です!
中世の時代、富と権力の象徴として貴族達が建てた沢山の塔。
今日14本の塔が現存しているそうですが、最盛期には72本もの塔が建っていたのだそう!




左から
「ポポロ宮」・「グロッサの塔」・「ドゥオーモ」

ポポロ宮は現在市庁舎として使われています。
そして、街で一番高い「グロッサの塔」は登る事が出来ます。




グロッサの塔入り口


中の階段は最近作られた金属製のもので登り易いと思っていたら・・・、塔の頂上直前の階段が非常に狭く、最後の最後はちょっと大変でした。。。

なんとか塔の頂上に到着・・・!

塔の頂上では、サン・ジミニャーノの街を一望出来ます!

街に建っている塔が上から見る事が出来て面白かったです。

サン・ジミニャーノの街はかなりコンパクトで小さく、周りにはトスカーナの丘が広がっていました。


グロッサの塔の横にあるポポロ宮の一部は美術館になっていて、13〜15世紀のシエナ派、フィレンツェ派の絵画が展示されています。




「ダンテの間」
ダンテは1300年にフィレンツェの外交官としてサン・ジミニャーノを訪れ、この広間にも赴いたのだそうです。
写真右手にリッポ・メンミ作「マエスタ」(1317)と云うフレスコ画の作品がありますが、写真撮り忘れてすみません。。。(汗)
(因みに、このフレスコ画は、シエナのプッブリコ宮にあるシモーネ・マルティーニ作の「マエスタ」(1312‐15)にとてもよく似ているそうです。リッポ・メンミはシモーネ・マルティーニの義弟で、シモーネの影響を受けてこのフレスコ画は描かれたと言われています。)




塔が沢山建つサン・ジミニャーノの街は「中世のマンハッタン」とも呼ばれるそうです。


繁栄していた中世(1300年頃)のサン・ジミニャーノをジオラマで再現している施設もありました。

こんなに沢山の塔!
(数えてないけど72本あるのかな・・・!?)

これらの塔は、一番はじめは派閥闘争の為の見張り台として建てられたそうで、敵が襲ってきた時に上から石や熱湯を落として追い払う為に使われたのだそうです。
しかし、次第に塔は富と権力の象徴となり、貴族達はこぞって豪華で高い塔を建てました。

貴族達が富と権力の象徴である塔を競い合って建てていた当時を想像するとなんだか滑稽と云うか、少し笑ってしまいます。。。

塔の内部の様子

上下階の行き来は結構簡素なハシゴです。。。





サン・ジミニャーノはイノシシ肉が名産らしく、

この日、街中のイタリアンレストランで食べたのは・・・、

イノシシ肉のパスタ!
クセがなく調理されていて、美味しかったです!



中世の時代に大いに繁栄したサン・ジミニャーノは、その後、14世紀半ばのペストの流行、そして内紛の為に街は衰退し、フィレンツェ共和国に吸収合併されてしまいました。
そして、街の衰退が激しかった為に復興する余力もなく、その結果、皮肉な事に中世の街並みのまま現代に残りました。



富と権力の象徴であった塔が建ち並ぶサン・ジミニャーノ。
昔むかしに栄えた街の塔は、今も静かに、そして誇り高くそびえていました。


(つづく)


滞在していたイタリア、エミリア=ロマーニャ州を後にし、今度はトスカーナ州へ。

先ず、辿り着いた先は、花の都フィレンツェ(
Firenze)!
多くの人が訪れる街だと思いますが、私もいつか行ってみたいと思ってたフィレンツェ。今回、念願叶いました!


フィレンツェが「花の都」と呼ばれるのは、古代ローマ時代に花の産地であった為に「花の女神フローラの街」と呼ばれてきたのが語源になっているそうです。

そして、フィレンツェの街を芸術と共に発展させた「メディチ家」。
銀行業で財を成したメディチ家が15世紀より権力を握って街を発展させた一方で、多くの芸術家を支援し、ルネッサンス文化の礎を築きました。



これこれ!!
絵ハガキなどの写真で見た事があるこの街並み!


街の中心地である「フィレンツェ歴史地区」は、ユネスコの世界遺産に登録されていて、フィレンツェの街は「屋根のない美術館」とも呼ばれます。
↑上の景色は、少し小高い丘に登った所にある「ミケランジェロ広場」から見る事が出来ます。


ミケランジェロ広場

ミケランジェロ広場にある「ダビデ像」(レプリカ)





丘を下りて、街中へ。



ヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)

1345年に造られたフィレンツェにある最古の橋なので、ヴェッキオ(古い)橋。
既にローマ時代からこの場所に木の橋があったのだそうです。


ヴェッキオ橋の上段部分は「ヴァザーリの回廊」。
16世紀、時の権力者であるメディチ家のコジモ1世が、住居であるピッティ宮殿から、政治を執り行っていたヴェッキオ宮殿まで約1kmの道のりを直接往復出来る様に作られた通路です。





橋の上には16世紀から貴金属屋さんがひしめき合っています。
(蛇足ですが、「ポンテヴェッキオ」と云うジュエリーブランドがあるけれど、恐らくこの橋が名前の由来なんだと今更ながら気付きました。。。)

貴金属屋さんが並ぶより以前は、ヴェッキオ橋の上には肉屋さんが立ち並んでいたそうですが、不衛生で悪臭があまりにも酷かった為に16世紀に改革が行われ、ヴェッキオ橋の上から肉屋さんは締め出され、貴金属店へと代わったのだと云う少し面白いエピソード!
(当時は切実だったと思いますが。。。)


ヴェッキオ橋の上に並ぶ貴金属店。
丁度かっこいい女性警官が街を見回っていました。



(写真が悪くてよく分からないですが・・・)「シニョリーア広場」。



シニョリーア広場に面している、14世紀完成当時フィレンツェ共和国の庁舎として使われた「ヴェッキオ宮殿」。

ヴェッキオ宮殿は、現在は市庁舎として使われています。

ヴェッキオ宮殿の前にあるミケランジェロ作のダビデ像(レプリカ)
こちらの有名なミケランジェロのダビデ像は、1873年まではこのヴェッキオ宮殿の前になんと「本物」が飾られていたのだそう!!
(現在、本物はフィレンツェにあるアカデミア美術館に収蔵されています。)




「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母マリア大聖堂)」


140年の歳月を掛けて15世紀に完成したカトリックの教会で、フィレンツェのシンボルです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、
・大聖堂(ドゥオーモ)写真奥
・ジョットの鐘楼(写真右)
・サン・ジョヴァンニ洗礼堂(写真手前)
と3つの建物から成っています。


「ドゥオーモ」と「ジョットの鐘楼」はそれぞれ上まで登ると、フィレンツェの街を見渡すことの出来る絶景ポイントだそうです(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の共通チケットで登る事が出来るそう)。
入口は物凄い行列が出来ていました。。。
私は時間がなくて登らず。


ドゥオーモの赤レンガ造りの巨大なドーム型丸天井「クーポラ(Cupola)」。

クーポラの内側にあたるドゥオーモのカテドラル(Cattedrale)天井部には、傑作であるサヴァ-リ作「最後の審判」のフレスコ画が描かれています。
ウフィツィ美術館の予約時間の関係で兎に角時間がなくて、私は内部に入らず。。。


サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の入口に物凄い行列が出来ていたので怯んでしまいましたが、カテドラル自体は見学時間内であれば無料で入れるそうなので、一瞬でも内部に入って「最後の審判」を観ればよかったかな。。。
ハハハ、ちょっと残念でした。。。

いつかリベンジしたいと思います!(願望)





ウフィツィ美術館
当日、普通に並んでチケットを買おうとすると物凄い行列なので、事前にネットでチケット手配しておく事を強くお勧めします。



ウフィツィ美術館に入ると、まず室内装飾の美しさに目を奪われます!!!

豪華で美しい室内にいるだけで、この美術館に来た価値があると感じました。

メディチ家が芸術家を支援し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロなど沢山の芸術家がこのフィレンツェで活躍したルネッサンス時代。
その時代の空気を感じられる空間でした。

ウフィツィ美術館は、16世紀にトスカーナ大公国の大公であったメディチ家のコジモ1世(ヴェッキオ橋と同じ人物)が行政庁舎として建てた建物で、イタリア語の「ウフィツィ(Uffizi)」は英語の「オフィス(Office)」と同じ語源を持つ言葉なのだそうです。

トスカーナ大公コジモ1世の息子フランチェスコが、メディチ家の貴重な美術品を集めたのが、このウフィツィ美術館にある美術コレクションのはじまりと云われ、その後、ウフィツィ美術館のスペースが、美術コレクションを所蔵・展示される場所として発展していきました。。

そして、18世紀にメディチ家は終焉を迎え、最後の相続人であったアナ・マリア・ルイーザは、全ての美術コレクションを「フィレンツェからの持ち出し禁止」を条件にトスカーナ大公国に寄贈しました。
その後、ウフィツィ美術館として一般公開され、このメディチ家の膨大で貴重な美術コレクションが、フィレンツェの街に今も尚、彩りを添えています。













ウフィツィ美術館の室内を楽しみつつ、同時に美術鑑賞も。
ウフィツィ美術館に所蔵されている美術館は圧倒される程、沢山ありました。

私は時間も余り無かったので、ポイントを押さえて鑑賞。。。


「ウルビーノ公夫妻の肖像」(ピエロ・デラ・フランテェスカ)


「サン・ロマーノの戦い」(パオロ・ウッチェロ)




「春」(ボッティチェリ)

「ヴィーナスの誕生」(ボッティチェリ)
ボッティチェリの超有名な名画を2枚共に観る事が出来るってとても贅沢!!




「受胎告知」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)


「ひわの聖母」(ラファエロ)


「聖家族」(ミケランジェロ)


「マルティン・ルターと妻の肖像」
(ドイツの宗教改革者ルターの有名な肖像画がこのウフィツィ美術館にあってちょっと不思議な感じ。。。)


「ウルビーノのヴィーナス」(ティツィアーノ・ヴェツェッリオ)


「バッカス」(カラヴァッジォ)


「ガリレオ・ガリレイの肖像」








フィレンツェ名物「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風ステーキ)」。
炭火で焼いた上質な赤身肉のTボーンステーキです。
街中にはこんな感じでお肉が店頭に飾られているお店が沢山ありました。


私達もこの日の夕食は「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」を。
美味しかったです!



夜のヴェッキオ橋

プロジェクションマッピングで彩られていて綺麗でした。





フィレンツェ滞在時間は半日だったので、観光スポットも大分行かなかった所があるし、かなり駆け足でしたが、やはり街並みが美しく、訪れる事が出来て嬉しかったです。

フィレンツェは福岡市の1/3の大きさと云うそんなに大きな街ではない様ですが、イタリアンデザインのオシャレなお店も沢山あったし、またいつか訪れる事が出来たなら、2〜3日滞在して観光に買い物にと、じっくりフィレンツェを味わいたいなぁ・・・!


(つづく)