おはようございます。

 

今日は、これまでとは一転し大雨の朝になりました。

黄砂などを洗い流すにはいいと思います。

仕事に行かれる方には、週の始まりにはつらいかもしれません。

 

今日のスカイツリーは、お約束で見れません。

足立市場前は、日比谷線を入れました。

週の始まり、空との対話でお出かけください。

 

 

おまけ、

昨日は、お約束の浅草でした。

このブログの初期の頃、新奥山にある石碑についてお伝えしました。

 

江戸時代、、浅草寺本堂の北西一帯は「奥山」と呼ばれました。

 地名というよりも本堂の裏手をおおまかに指した俗称で、その範囲も明確ではなかった。 その名の由来も分かりませんが、浅草寺の山号である「金龍山」の「奥」にちなむと推定される。 奥山は江戸きっての庶民娯楽の場でした。

そして、現在は新奥山と呼ばれるようになり、多くの碑が建立されています。

 

その、エリアが現在道路を整備するということで、現在工事中である事は少し前にお伝えました。

その時、思ったことは移動した石碑はいくつかありましたが、大半の石碑は何処に行ったのかと思い浅草寺の裏側を歩いていると、名所のひとつ、九代目市川團十郎像の向かって左側に見たことがある石碑が並んでいるので行ってみると、移設が完了したようにきれいに並んでいて驚きました。

加えて、以前お伝えした浅草神社の裏側にあった、山東京伝の机塚などもどさくさに紛れた形で移されているのに二度びっくりしました。

今後、新奥山はどうなるのかわかりませんが、浅草寺裏に今後石碑をまとめるのか?ですが、浅草大好き人間にとっては残念な気持ちがあります。

工事が終わったら、改めてお伝えいたします。