今年の7月で彼が旅立って5年になります。
1年は毎日泣いて毎日死んでしまいたいと思っていました。あの世があることを願って、どれだけ先でも良いからまた会いたくて、証拠が欲しくてたくさん調べて本を読みました。もちろんあの世から帰ってきた人なんて居ないので証拠なんてなかったけど、色々調べたところ死後の世界があるように思えたので、信じてしまうことにしました。誰にも言っていないけど、そう思う事にしました。
それから私の毎日は少し変わりました。
それは2年目になる頃でした。ずっとやりたかったことの勉強を始めました。まだ毎日のように泣いていたけど。
私は2つの違いを立てました。
1、嘘をつかないこと。
2、諦めない事。
1つ目の嘘をつかない事について。
嘘をつかないというのは、嘘をつかなくていいように生きるということです。
しかも死後の世界に行った人は自由にこちらへ来る事が出来て、私の心の中を読む事が出来るので、変な事は出来ないし考える事は許されません。いつ心の中を覗かれても大丈夫なように生きる。やましいことのなき人間になる。私は(自分を含めた)人間の煩悩とそれを巡る愚行にうんざりしており、その頃はかなりすっきりした考え方をするようになっていたのでこれは難しいことではありませんでした。私は彼に永遠に嘘をつかないと決めました。
そして諦めないというのは
私は子供の頃から何か始めても長くは続かない、だらしない人間でした。
亡くなった彼は逆でした。努力が出来た。ある人は彼を天才と呼びました。私も彼をそう呼んだ事があります。しかし彼を思い返し観察うちに、そのように天才と持て囃される人達に共通するのはただ一つの能力だと思いました。天才というのは現在の自分を客観的に否定することができ、課題を見つけて変化し続ける事が出来る人の事なのだと思ったのでした。簡単に言えばずっと努力出来る人です。もちろんその努力に応える才能が彼にはあったのだけど。
私は凡人なので彼のようにはなれないかもしれないけど、私は私の人生で何か一つくらい決めた事をやり遂げたいと思いました。結果が出なくても、何にもならなくてもいいから。
3年が過ぎて毎日泣かなくなりました。
4年目の今はたまにしか泣きません。
2年目に始めた勉強は、毎日頑張れない事はあるけどずっと続けています。
先日めぞん一刻を読み返したんです。
高橋留美子さんの漫画で、めぞん一刻館というボロアパートに住む五代君と、そのアパートの管理人である響子さんとのラブコメなのですが、響子さんは夫を亡くした未亡人です。
昔から好きな漫画なのですが、今回初めて泣きました。
77話、春の墓
惣一郎さんの命日。4周忌。響子さんは毎年お墓参りに行きます。響子さんは両親が墓参りで再婚話をするに決まっていると憤って出かけます。
しかし両親はそのような話をしてこない。
拍子ぬけした響子さんですが、アパートに帰ります。そして住人の一人である一ノ瀬さんに言われました。
「で、何話したの?惣一郎さんにさ」
響子さんは気付きました。両親のことばかりを気にしていて惣一郎さんと何も話していないことに。
響子はんは惣一郎さんの好物のかっぱ巻きとお茶を持って再びお墓に向かいます。
そして
「惚一郎さんどうして死んじゃったの、生きてさえいてくれたらこんな思いしないで済んだわ・・・」
響子さんも泣きましたが、私も号泣です。
生きている人達が私の中に入ってきている。
いつか私はあなたを深い所に沈めてしまう、その時が来ても許して下さい、それが私の今の気持ちですと。
私は本当に創造力不足のぼんくらかもしれません。
何度も読んだこのシーン、今回自分が似たような状況になって初めて分かったんです。
今まではなんとなく、分かった風だったんです。
多分他にもそんなことばかりな気がします。しかも何も分からない事にすら気づいていないんです。
そして高橋留美子さんはすごいですね。
めぞん一刻のアニメの主題歌では村下孝蔵さんの陽だまりが一番好きです。
私はこの歌詞、響子さん、五代さん視点も混じえつつ、主に惣一郎さん目線で書かれた歌詞のようにように思います。
「歩き出せばこの背中を追いかけてついてきてほしい」このシーンの描写が響子さんが惣一郎さんを回想する回でありますし、惣一郎さんの描写は春のシーンが多くて桜がきれいで、私がこの曲から受ける印象もそれと同じです。
惣一郎さんから、今を生きる響子さんに向けたメッセージのような歌詞だと私は思っています。
「ああ僕は君一人のためだけの一人ぼっちさ」と語りつつ
「一番大事なこと忘れずに輝いていてほしいよ」
と締めます。
私はこの歌詞が大好きです。
2年目に入った頃、悲しみとは別の不安が頭を過ぎりました。
今はこんなに悲しくても、どんなに信じられなくても、いつか忘れてしまう日が来るかもしれない。
そう思いました。
一生忘れたくない、でもずっとこんなに辛くて悲しくては生きてはいけない。でもこの悲しみが薄れる時にはあなたの事を忘れてしまうと言う事なのかしら。本当にぐちゃぐちゃな感情でした。
これも勉強を始めた理由の一つになりました。
彼の事を忘れていない証が必要だ思った、かどうかは覚えていませんが、「目標に向かって努力して嘘をつかない人間になる」と決めたのは彼のおかげなので、その誓いを破った時には彼の事を忘れてしまったと言うことになるだろう。つまり前を向いて進み続ける限り私はずっと彼を忘れない、共にいることになるだろうと、決めました。
そう決めた日からもまた少し前に進みました。
悲しみが消えることを恐れなくなりました。
私は最近は、時々ゆっくりと彼を思い出します。
心の中で語りかけ、今日も頑張ろうと思います。
いつか自分もあの世に行った時に、頑張ったねと話せるようにしたいと思って生きています。
私のグリーフケアに最大の効果を発揮したのは「死後の世界はある」と決めてしまうことでした。
さらにそのように考える事で素行が悪くなる事はありませんので、これはおそらく真理ではないかとも思えてきます。
逆に言えば唯物論者が言うようにこの世がすべてなら、なぜ人を殺してはいけないのか、人に優しくしなくてはいけないのか、頑張らなくてもいけないのか、なぜ生まれてくるのか、自分には分かりませんでした。あの世があるんだと思ってしまえばこれら全てを説明することができました。
死んでみないとわからないですが、たとえ死んだ後に無の世界だったとしても私は今このように考えていることを後悔はしません。
死んで無だったとしても良いのです、今生きているこの人生を、そのように思う事で正しく生きていけるんだから、悪い心がけではないからです。
「正しく生きる」なんて言葉も曖昧難ですが。
そしてこんな風に生きる事を彼も応援してくれると思うからです。
生きるのって悲しいな、と思っていましたが、最近は生きるのもなかなか楽しいです。
出来ることを頑張って、この人生を楽しみたいと思います。
いつかたくさんのお土産話を持ってあの世へ行きます。話の続きはその時にすればいいと思っています。
いつか会えるのだから、今は残された限りある時間を精一杯生きていけば良いですよね。
少なくとも4年目の私は今はそう思います。