子連れで国際結婚~海外移住~息子をバイリンガルにするぞ -2ページ目

子連れで国際結婚~海外移住~息子をバイリンガルにするぞ

母子家庭に疲れ限界を感じた私は英語力が中学生レベルだというのに国際結婚するべく婚活。どうせ結婚するなら玉の輿に!と意気込むが何故かミリタリーの旦那さまと電撃結婚。国際結婚してやる!と決意して3年目の今日この頃を綴っていきます

さてさて、Hawaii移住も無事に済みようやっと落ち着いてきたところで続きを書きたいと思います。

生活保護の打ち切りを決断し○本生命に入社した私。初めの1ヶ月は保険を売るための資格を取らなければいけないという事で勉強会に参加した。

勉強はいたって簡単!ビデオを見て大事な所をマーカーして小テストをして終わり。小テストで90点以上取ればそこで帰ってよし!おまけに豪華なお弁当と交通費が1日1000円もらえるはーと 結構至れり尽くせりな感じです。

その後、順調に小テストをこなし一ヵ月後に試験を受けて無事にパス。晴れてセールスレディーになったのでした。
初めの数ヶ月はノルマがないとの事で気楽に始めた保険屋のおばちゃん・・・じゃなくてセールスレディー。意外と楽しい♪ お友達と一緒だし年が近い訳ありの母子家庭の人も多くて、私と似た環境の人が多いのですぐに皆と仲良くなれた( *´艸`*)

リーダーの協力もあって順調に契約も取れ、お陰で生活保護がなくても普通に食べていける様になった。

そんな穏やかな日々が続く中一つ問題が発生した。そうそれは息子の喘息・・・。

とある日から熱はなく元気だけど、朝と夜中にコンコンと咳をするようになった。3日か4日くらい経った頃一応病院に行ってみた。するとドクターが

「まぁ、風邪かな~。お薬飲んでちょっと様子みてください。」

と咳止めと痰を切る薬を4日分出してくれた。
薬を飲んで4日経っても咳は治まらずもう一度病院に行く事にした。咳が全然良くならない事をドクターに告げると

「ん~、これは風邪じゃないな~。喘息だなぁ~。

と言った。うちは私の父方が喘息の家系なので息子が喘息になってもおかしくはない。この日から息子は喘息の薬を飲むようになった。
入社したのがたしか4月、息子が喘息といわれたのが8月くらい。そして9月の終わりになった頃、息子に喘息がますますひどくなるのであった。

その頃私の両親が離婚。父が1人暮らしを始める事になったので一緒に住んだ方が何かと都合がいいだろうと、私 息子 父の三人暮らしが始まった。父の勤めが都内という事もあり春日部から草加に引っ越した。

草加に引っ越してからますます息子の喘息が酷くなり、朝と夜中の咳込む回数も増え寝不足の日々・・・薬を飲んでも咳き込んで吐いてしまう。薬で治まらない時は病院に行って吸入をしていた。薬の種類も増え毎日4種類の粉薬を飲まなければならなかった。
朝方からゼーゼーと苦しそうにしているので出社前に病院に行き吸入>保育園に登園>出社のパターンが続くようになった。

保険屋だから融通が利く
が他の仕事ならまず首だろう。


そんな生活が続いてたある日いつもの様に朝に病院へ行くとドクターが

「そろそろ吸入器を家に置いたほうがいいかもしれないねー、毎回病院までくるの大変でしょう。あとステロイドを使おうか。」

と提案してきた。私の姉が喘息でステロイドの噴射機を使っていて一回使うと手放せなくなり、使い慣れるとその薬では治まらなくなりかなり強いステロイドを使っていた記憶があったので、私は息子に使わせたくなかった。
でも、一応噴射機を持って帰ることにした。

この頃から母子家庭は金銭的にはそんなに困らないけど何かあった時1人はつらいな~と思うようになってきた。

でも・・・再婚はこりごり・・・でも1人はきつい・・・・・・日本の男にうんざりだけど

外国人はどうなのかな・・・


よし、試しに世界に目を向けてみよう!と、私は外国人と知り合えるサイトを探し始めた。





地獄の様な日々をなんとか抜け出し、息子と生活保護で穏やかに暮らし始めたが、思っていた以上に金銭面の苦労ではなくメンタル面での苦痛が待ち構えていた。

日々の生活は穏やかになったとはいえ、いきなり居なくなったんだからきっと旦那は血眼で私達の事を捜しているだろう・・・・それを思うと買い物以外怖くて外に出られないのであった。もちろん福祉課の人にも外出はしないように言われていた。

(近所にはちゃんと民生員というものがいて私達の行動を監視している人が居る。もし私が男でも家に連れ込もうならその民生員は福祉課に連絡してその事を伝えるであろう。そして男がいるんだからその男に食わしてもらえと言われ生活保護を打ち切られる。なんてケースもあると友人から聞かされていた。そもそもこの段階では男なんぞ作る気にもならないが日々の生活も民生員によって監視されているという事だ。)

そしてなにより福祉課の男の態度には耐えられないものがある。その上息子に何かあった場合すぐに近場の病院に駆けつける事も出来ない・・・

かといって仕事を見つけて生活保護を切って自由を手にしたとしても旦那から逃げている以上住所変更も出来ないし、面接の際に現在住んでいる場所と身分証明書に記載されている住所が違うので、一切郵便物や連絡をその住所にしないで下さいと会社にいちいち説明しなければならない。

やはりもう少しこのまま現状維持でいるべきか・・・

と日々頭を悩ませていると10代の時に飲み屋で知り合ったSちゃんから電話が。Sちゃんも私と同じ母子家庭だ。

なにやらSちゃんは生命保険屋で働き始めたらしい・・・保険屋ねぇ・・・今までで一番したくないと思っていた仕事だわ。
Sちゃんは私に保険屋で働かないかとお誘いの電話をしてきたのだった。
しかし私は保険屋に良いイメージを持っていなかったので最初は断わっていた。がSちゃんの一言でコレは保険屋しかなくね!?と思う様になったのだ。

その言葉とは

「保険屋ならすぐに内定書書いてくれるから保育園に申請出来るよ。母子家庭だからPT加算があるしすぐ子供を保育園に入れられるじゃん^^。最初の1ヶ月は給料がもらえないけど2ヶ月目の給料日に初月の給料と二ヶ月目の給料が合算されて36万くらい入るよ。」

二ヶ月目に36万ですって???しかも内定書がすぐゲットできるですって?? それは保険屋の裏事情がかなり汚いとしても行くしかないじゃん!
よし!そのSちゃんの言葉に騙されてみようではないか!と思ったのだった。

その翌週に保険屋に面接に行き&内定書もゲット!それを役所に提出し保育園へ申請。田舎で駅から少し離れている保育園だった事もあり待機児童もいない。そして母子家庭で内定書が提出済みで尚且つ仕事始めがいつか既に決まっている、以上の条件から選考対象になりあっさり入園の許可の手紙が来たのであった。

わーい!!!生活保護よさようなら!!!!あのくそ男ともさようなら!!

今でもその男の事を思い出すと腹が立つのでどこの市の福祉課かヒントをみなさんに教えちゃいましょう!

私がお世話なると同時に&かなりの侮辱を受けたのは「埼❍県、春❍部市の福祉課の男性職員」でした。

少しずつではあるが人生が幸せな方向に向かっているような気がしていたその時は、生活保護を受けてから約四ヶ月くらい経った時の事であった。








私の福祉課の担当者が底意地悪く会うたびに嫌味を言われた。だけど生活保護を打ち切りにされたらまたあの旦那のもとへ戻らなければならないのでこみ上げる怒りを抑え耐えた。

だけども、マジでもう限界!という出来事が起きるのであった。

とある朝起きて子供をふっと見ると、子供の目がお岩さんのように腫れ上がっていた。急いで病院一覧をみて近くの眼科を探し駆け込むことにした。

私「すみません。子供の目が腫れ上がってて見てもらいたいのですが。」

と保険証と生活保護受給者証(見せると医療費がただになる)を出す

受付「あ~、生活保護の方なんですか?うちでは無理ですね。他の病院に行って下さい。

私「え?今この子2才ですよ?緊急を要するような時でも診てもらえないんですか?」

受付「無理ですね。うちは生活保護者は診てないんです。」

私「そうですか。分かりました。子供が緊急な時でもそういう事いうなんて逆に診て貰いたくないわ。ここの病院最低~。」

と皆に聞こえるように嫌味を言って出てきた。

病院を出たあと悔し涙が溢れてきた。けど泣いてる場合じゃない!病院を探さないと!と思い一旦家に帰り市役所に電話した。
そして、生活保護者は受け入れてくれる病院が決まっているという事を教えてもらった。だからどんなに急病でも決まった病院まで行かなければならなかった。

受け入れてくれる病院が駅から離れている&直ぐにでも診てもらいたかったので仕方なくタクシーで行くことにした。病院に向かってる間「うちは生活保護者は診てないんです」が頭から離れなかった。

目の腫れはたいした事もなくただの物貰いだと判明(てか物貰いであんなに腫れるものなのね・・・)。病院から帰ってきた後、怒り&悔しさがこみ上げてきて仕事見つけて生活保護なんて切ってやる!!と決意するのであった。

ちょっとでも面白いと思われた方がいましたらshokoponと御願いします~どーもっ

子連れで国際結婚~海外移住~息子をバイリンガルにするぞ

子供と快適な二人暮らしが始まるも、生活保護での暮らしは意外にも苦痛であった。金銭面ではなくメンタル面で・・・。

生活保護支給日だったとある日、市役所へ手当てを貰いに行った。そこはまだ田舎だった為銀行に振込みではなく手渡し・・なので役所に行って並んで順番を待って受け取るという流れだった。

市役所(市)側からしてみれば生活保護者に金を払うと市の財政が苦しくなるのでさっさと出て行ってほしいという思いがあるのか、タダ単に担当者が底意地悪かったのかあんたはお荷物的な態度をあからさまにするのであった。

生活保護支給日、担当者の元へ行き今後の話をする事になっていたのでお金を受け取った後福祉課に行った。

担当者「最近どお?」
私「なんとか落ち着いてきましたが・・・」

担当者「あんた~、まだ若いしそこら辺の田んぼの真ん中に子供を抱っこして座りこんでたら、金持ちのおっちゃんかなんか拾ってくれんじゃない?ははは」


私「・・・・・・・・・・・・・・・・。そうですね。」

一瞬何を言っているか分からず頭の中が「?????????」となってしまいましたが、次の瞬間なんとも言えない旦那に対する怒りとはまた違う、下からゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!と来る様な怒りがこみ上げてきた。

胸ぐら掴んでしばいてやろうと思ったが自分達の今後もあるし、生活保護を打ち切りなんて事になったら子供を食わせていけないので何も言わずにそこは我慢した。

10年近く水商売をしていたので嫌な客は腐るほど相手をしてきた。なのでその担当者にもたちの悪い客だと思って笑顔で接しってやった。水商売が意外な所で役にたったもんだ・・・( ´艸`)ムププ


世の中の疲れきった母子家庭の皆様で次は国際結婚だわ!と思ってらっしゃる方も多いと思います。

そこで!私がどうやって国際結婚にこぎつけたかを日記にしていく事にしましたのでこれから子連れで国際結婚を狙っているシングルマザーの方参考にしてみて下さい゚+.(*ノェノ)゚+.

まずは、かる~く今までを振り返ってみます・・・・・

う~ん 良い思いでがあまりありませんね。。。パンダ汗かく というのも私は17才で第一子を出産20才の時に離婚。24才の時に再婚するも26才で再び離婚・・・しているのですずんこ泣く

最初に離婚した時から水商売を始め再婚後も旦那の稼ぎの悪さ&借金&色々なトラブルで金欠・・・・出産後2ヶ月で再び水商売を再開。昼間は3時間おきの授乳&家事、夜は夕飯の支度などを済ませ子供を寝かしつけ9時~11時くらいの間に出勤し帰りは平日朝の3時、週末朝の4時~6時というなんとも過酷な生活・・・。

元旦那は大工で朝5時起きで夕方6時くらいにいつも帰ってくる。そして「俺は朝が早くて疲れているんだ」と言って夜9時ころには子供と就寝・・・。旦那の甲斐性がなく私は出産後2ヶ月でほぼ寝ずに仕事&育児しているというのになんたる態度でしょう・・・今思うとほんとありえません

再婚して約1年半立った頃、日々の暴力(顔面骨折して救急車で運ばれるなど生命の危機を感じる暴力が多々)&金欠(交通違反はしょっちゅうで罰金の支払いが次々やってくる、旦那が独身時代に変なヤクザから無車検・無保険の車を70万で購入・・毎月7万の支払いをすると約束。本人の給料20万たらず。車間距離を取っていなかった為にバイクでかまをほる。そして相手が外車だったため修理費21万の請求が来る。通勤で使っていたバイクは廃車になりバイクを購入更に約16万出費。などなど)

全くもって本人は反省の色はなし・・再婚して1年半の時子供を連れて出て行こう!と決意したのだった。

運が良く?暴力を振るわれていたので何度か警察署で相談していた事もあり顔面骨折で救急車で運ばれた後、警察の粋な計らいで都内のシェルターに保護され福祉の協力もあり生活保護を受けながら子供との二人暮らしが始まった。

その時色々お世話身なったとある警察署の○暴のおっちゃん!本当に有難う!

あの時おっちゃんが

「オマエはこのまま家に帰ったら殺されるぞ。家に帰ったらダメだ!俺がなんとかしてやる!」

と言ってくれたから決心がついたのです。

家に戻ろうかどうしようか・・・・親戚も家族も頼れない・・・本当に一人で母子家庭をやっていけるだろうかと物凄く不安だった私の背中を押してくれたのでした。

少しでも 面白い! と思って頂けたらshokopon御願いしますsao☆

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