相撲の歴史を遡ると、日本書紀や古事記などの古い文献にも相撲の記述が残されており、4世紀頃にはすでに存在していたと言われています。ただ、興行として組織化されたのは江戸時代の初め頃とされており、寺の修繕に必要な費用を集める目的で開催される「勧進相撲」が有名であり、商人がスポンサーにつくなど数々の名試合が生まれて庶民を楽しませました。一方で、勝敗をめぐり喧嘩が絶えず浪人集団との結びつきが強いという理由から、幕府によって禁止令が出されることもたびたびありました。明治時代に入って西洋の文化が浸透してくると、裸で取り組みを行う相撲は野蛮なものとして「裸体禁止令」がだされ、力士たちが罰金や刑に処されることもありました。このような時代を経て、1909年に、初の常設相撲場となる両国国技場が落成し、相撲の近代的スポーツ化が進みました。しかし、その後の第二次世界大戦における東京大空襲で両国国技館や相撲部屋は焼失してしまいます。

1949年に仮設国技館を建設しようやく1月場所(13日間)を開催し、1950年から本場所(3場所)が各15日間実施、このうち大阪は、1950年9月場所は阿倍野橋畔、1951年は難波に仮設国技館を建て興行を実施されました。本場祖の取り組みは、最初の日を「初日」8日目を「中日」最終日を「千秋楽」と呼ばれています。平成、令和以後は、若貴ブームなど多くのファンを獲得した一方で、暴行や賭博問題などの不祥事もあり、さらにコロナ感染拡大による無観客試合などもありつつ、現在に至っています。
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