「普通」の感覚を持った人からは、「普通」のことができない人の気持ちはわかりにくいものです。
逆も然り。
普通のことができない人たちは普通の感覚がわからない。



例えばテレビでニュース番組が流れているとします。

アナウンサーが一人、画面の前で話している。
画面後方には内容に関わる短いタイトルがテロップ出ている。

左上には四角い画面、内容に関わる映像が映し出されている。



ありふれた一画面です。



普通は、今書かれているようなものが目につきます。
しかし、ものの見方が違うと、全く違うものを見ていたりするのです。


画面の色や、テロップのフォントや、アナウンサーの服の色、髪型、書ききれないほどその画面には情報が溢れています。



「ニュース番組のひと画面」と言っても書ききれないほどの情報があり、なんでそんなものに注目するの?というようなものを見ていたり聞いていたりします。




支援が必要な場合の伝え方はとにかくシンプルに。どうするのかはまた改めて書きます




そして「ものの見方や世界が個性的なんだな」という気持ちを持つこと。