義父が入院して２週間ほど経った２月半ば。

退院後の生活に向けて、介護の話になった。

病院のソーシャルワーカーの人との面談で、たくさんの資料をいただいた。

介護認定のための連絡先、ケアマネージャーの選定、訪問医療といったものなどなど。

医者は、「今回心臓が弱っているので、立つとふらつきが出ます。ポータブルトイレも用意しておくとよいでしょう」と、言ってられた。

おそらくトイレにたどり着くまでに保たないだろうという話しである。

一瞬、目が点になった。

ーポータブルトイレ！？。

あの家のどこにそんなものを置けるの？　それから、おまけに訪問医療？

大掃除をしなければならない。とは言っても、そのくらいでなんとかなるなんて思えない。無理だった。ゴミ屋敷なのだから…。

義父は汚れた物の上に、それを隠すために別の物を置いてゆく。そうしてどんどん物が積み重なっていた。だから、少し片づけてゆくと、思いがけない物が隠れていたりする。正直言って、すごく不衛生でもある。

なぜ、ゴミ屋敷かというと、単に『掃除』という項目が彼の頭の中にないだけだった。処分すべき物だって、ほったらかしだ。だから、ボケが原因でこうなったわけじゃない。すくなくとも2月の入院前まで、義父は天然だけど、ボケていたわけじゃなかった。

そして、ゴミ屋敷とは。

たいてい人を寄せつけない独特の雰囲気がある。夜の墓場ほどでないにしても、その住人が他人を排除しようとしているかのような気になってしまう。訪ねて行っても、こちらの居場所もないし、長居したくない所だった。

だから、つねに清潔を保っていなければならない医者や看護師さんに来てもらうなんてとんでもない。なんとも失礼な話しだと思う。

それに、義父は熱中症の時、しばらくヘルパーさんに入ってもらってもいた。

それも結局、介護保険証も返してしまった。作ってもらった食事には、あからさまに口もつけづ、後で棄てていた。あまりにも失礼だと思えるような事を平然とやってのけてしまう。

義父はただ気ままに時を過ごしていたいようだった。自分で料理したり、自分で自分の食べたい物を買ってくる。そうでなければ、まるで意味がないと思っているかのようである。

おまけに、車椅子、杖、歩行のための補助器具といった物も、括弧悪いと思っているようで、勧めても使わなし、ポータブルトイレになんて座りもしない。

こういった事をお医者さんやソーシャルワーカーの人に説明してみたけれど、無駄だった。何から何まで、介護導入には不向きな人なのに、『義父のような容態の人には、介護を入れる』のが常識になっている。

まったく頭が痛かった。

ハルさんの件でもう経験ずみだから、『介護導入の手続き』そのものはたいした苦痛じゃない。

けれど、義父は…。問題が山積みすぎた。

そしてさらに、もうひとつの問題。

義父には同居人がいた。事が非常に複雑だった。

面談の終わりに、ソーシャルワーカーさんが微笑み告げた。

「介護の準備が整いましたら、ケアマネージャー、訪問看護師、お父さんの主治医の先生、ここの医師、そしてわたくしとで、ミーティングを開きます。ご家族のかたも参加をお願いします」

へっ…？

義父のような患者が退院する場合、この病院ではお決まりの事らしい…。

介護の形が整わないと、退院すらもできなさそう。

なんか釈然としない。変てこな気分だ！

しかも、とんでもない事に巻きこまれてしまった気がする。

だけど、蒼ざめてたってもうしかたがなかった。

やるしかない！

週明けの夜中、電話が鳴った。

病院からかな？

と思い、起きて受話器を取ると、義弟だった。

『このままだと父がホームレスになってしまう！』

とかなんとかワーワー言っている。

どうも、私たちと同居中のハルさんの住民票やらなんだらかんだらの書類を送ってほしいというのが目的だったようだ。

義父はファミリー対象の都営住宅に住んでいる。だが、ハルさんが出て行った後の届け出をしていなかったので、3月までに届け出ないといけないとのことだった。

手続き関係のことはまったくルーズな義父らしい事だ。

だけど、義父の家の住民票からハルさんが外れ、すでに１年半が過ぎていた。今さらそんなにあわてても仕方がないだろうと思ったが、電話の相手は興奮気味にしゃべりまくっていた。

とりあえず、書類については承諾し、電話を切ろうとしたけれど、話が続いた。

仕事の関係なのか、この人はいつも夜中にかけてくる。

2月の中旬で部屋が寒く、私は凍えた。

夫は出張で留守だった。

『父も歳だからこんなこと言うのなんだけど…』と話は続き、

義弟はどうも義父は無理やり入院させられた、と思っていた。

義父が自分で望んで入院したことや、状況を説明したけれど、なかなか伝わらない。

そして、いつまでたっても終わらない。

しかたがないので、『もう切りますから！！』と言って、強引にきるしかなかった。

翌朝、役所へ、書類をもらいに行った。義弟の話からは、戸籍謄本が欲しいのか、住民票なのかよくはわからなかった。とりあえず、受け取り可能なものを受取り、認定のための手続きに取りかからないといけなかった。

「はい、こちら地域包括センターの森里（仮名）です」

「あれっ？あのう、もしかして以前お世話になった…」

聞き覚えのある名にまさかと思ったけれど、熱中症のさいに、義父がお世話になった福祉課のケアマネージャーさんだった。

異動で、部署が変わってられたのに、あまりの偶然にびっくりした。

義父が入院中であることや、これまでの経緯を説明すると、

「お父さんの件、こちらで対応させていただきます」

と、速答だった。

このかたの決断の素早さに頭が下がる思いがした。

義父が以前介護を打ちきった後も、この人は義父のことを気にかけてくださっていたようだった。

ケアマネージャーの選定の必要がなくなり、私自身助かったし、義父の事やうちの状況をよく知ってくださっているから、とてもありがたいことだった。

そして、何よりも心強い。

こうして、介護の話し合いをはじめていったのだけれど、話しは難航していった。

福祉課の森里さんは最高の介護を提供したい。そして、けちんぼの私はできるだけ義父の年金の範囲内で済ませたい。

施設入所か自宅介護か。

ここでの『自宅』というのは、義父の家の話である。

私たちの自宅では無理だった。

ハルさんは、自分の夫の顔も、名前も、存在すらも覚えていない。

突然、義父が自分の部屋にいるとなると、パニックになり嫌がってしまう。

それに、もしも義父が歩けるようになれば。

きっとまた私たちの手に負えないことをしでかすに違いなかった。しかも、この二人…、過去に変な事いっぱいしていて、ペアだともっと悲惨な事になりそうでもある。義父が同居を拒絶してくれてほんとによかったと、今になってつくづく思う。

義父の入院生活が続くにつれ、問題がまた増えていった。

「お父さんほんとに、ご飯を召し上がらないないんですよ。

どうも甘い物が好きなようなので、プリンとか出してるのですが、そうした物をほんの少し口にする程度で」

食べれない状態でないのに、なぜ食べないのか、お医者さんはわけがわからないといった表情をした。

私にしてみれば、『あんなに義父の好き嫌いについて説明していたし、ほとんど食べなくても不思議じゃないのに』と思ったが、医者は「このままだと体力的に心配だ」と言って、表情を渋くした。

「もっと、ご家族のかたが協力して、本人の好きな物を食べさせてあげないと」

と、ちらりと、私の顔を見た気がした。

え、？責められてる、私？

たしかに、病院へたどり着き、面会や面談などで時間的にいっぱいいっぱいで、もう病院にまかせっきりだった。食事をあげるといった甲斐甲斐しいことをまだ一度もしていなかったと、反省。

「糖尿病ですが、特に何か制限はないのですか？　食べ物ならなんでもいいんですか？」

「かまわないです。とにかく、何かお腹へ入れてかないと」

お医者さんはふと遠い目をした。

「なんだか、本人気力がないのか、リハビリもまったくやろうとしないのですよ」

義父ならそんなところだろう。

あの人はやりたくないと思った事は決してやらない。そして、やろうと思ったことは這ってでもしそうである。自由人だった。（自由人のほんとの意味はちょっと違うと思います）

義父は病院食と点滴の両方をあてられていた。だが点滴の方は、量が制限されていた（難しい事は頭へ入ってゆきませんでした。が、これは心臓の機能がおちているからだそうです）。

看護師さんも心配してられた。

義父は入院中に前立腺肥大と筋力低下により、尿が出にくなっておしっこ袋をつけられていた。運動すればこうした状況も改善されるとの話しだった。

本来の義父の身体的状況だと、巡回型のヘルパーさんを入れるか、医療型の施設に入るべきだったらしい。『ご飯を食べない人は普通の施設では受けつけてくれない』ことを、私はこのとき初めて知った。

なにせハルさんはなんでも『おいしい』と言ってくれるし、どこのショートステイ先も彼女を歓迎してくださっている。夫婦でもこうしたところはずいぶん違う。

福祉課の森里さんは、医療型の施設を勧めた。

これだと普通の施設よりさらにコストも高くなる。それに、施設へ入ったら入ったで、しばらくすれば暴れて自宅へ戻って…、どのみち自宅介護を取り入れることになってしまう。どうしてそんなことを勧めるのかと思うけれど、福祉課の人にしてみれば施設のほうが安心らしい。

「お父さんのように施設の食事を食べない人でも、そこなら点滴で生活できますよ」

「えー、だめですよ。そんな甘やかしちゃ！」

「まあ、まあ」

森里さんは笑顔で私をなだめた。

でも、これっておかしい気がする。

好き嫌いがあって食べない人を生かすために、点滴を使うだなんて。

医療費の使い方間違ってない？

私は、今の世の矛盾に頭を抱えた。

『死に向かって枯れてゆく状態の人は食べなくなる』って本で読んだけれど、

義父の現状で食べないというのはそれにはあたらないというのが、◯◯さんの説だった。

面談の後、私は駅の方角へ戻り義父の食べそうなものを買ってみた。

義父は味の濃い物が好きだったような気がした。

一時は毎日ラーメンを食べていたって話も聞いたことがある。甘い物も好きだ。

カステラ、チーズ、カフェオレ、ゼリー状の飲むバナナ、などなど。

義父はカステラを喜んでくれ、カフェオレも飲んでくれた。

ちょうどうまいぐあいに病院食も運ばれてきた。

どれもこれもおいしそうだった。

オレンジは小さくきざまれかわいく盛られていた。ご飯もちょうどよい固さだ。おかずにいたっては、かなり手間をかけて調理してくださっている。一目でわかる。心がこもっていた。

看護師さんがいつも義父の好みを一生懸命探ってくださっていて、オレンジは多めに、そしてプリンもそえてくれてあった。

義父の手が小刻みに震え、スプーンを持つのもつらそうで、私が変わって口へと

運んでいった。

どんどん口へ放りこみ、『できるだけたくさん食べさせよう』作戦で臨んだのに、相手が上手だった。

義父は終始ニコニコしながら、５分食べると１０分から２０分横になり、そんなことを繰り返していった。遅々として進まず、私のほうがギブアップしそうになる。

入院中、誰かが義父のために買ってきてくださっているのか、義父のそばにはいつも複数の新聞が置かれてあった。

「ここの人はみんないい人たちなんだよ」

と、義父がもらした。

めったに『感謝』というものをしたことがない人だった。

でも、義父の言うとおり。お医者さんも、看護師さんも、リハビリの人もどの人もみな親切だった。義父のことも親身に気づかってくださっている。

この時、義父が食べたのは、カステラ３／４切れ、里芋の小さなかけらを４個、ごはんスプーン半さじ、ぷりんをほとんど食べ、オレンジは完食。からい系のおかずはまったく食べようともしなかった。甘い物ばかりだ。

複雑な気分だった。

自分も似たようなことを経験している。死にかけた後の６ヶ月間、食パン一枚にハチミツをつけた物を朝、昼、晩と食べていた。それしかお腹に入らなかった。『消化吸収すること』にエネルギーが必要だから、衰弱していると体が省エネしようとして、吸収しやすく喉のとおりがいい物を欲してしまう。

「ああー、たくさん食べた」

義父がニコニコして言う。

「ぜんぜん食べてないじゃないですか！？」

これではほんとに体力が落ちてゆく。

「そうか、ぜんぜんか」

義父は胃のあたりをさすりながら加えた。

「なんだかもたっとするんだよ」

はじめは、病院食を拒絶したくて、食べれない『ふり』をしてるのじゃないかと疑ったけれど。本当かもしれないと思った。

入院前、義父は恐い人から電話で脅されていたらしい。そのストレスで胃までやられてしまったのだろうか…。

この病室は、大部屋だった。だけど、個人個人の空間にテレビがそえつけられていた。

「お父さん、テレビカード買ってきましょうか？」

デイテーブルの所で、他の患者さんが買ってられたのを思いだした。退屈なのが大の苦手の義父に気をきかせたつもりだったけれど、

「ああー、こんなの。こんなちっぽけなんじゃあ」

と、言い捨て、せっかくのテレビをばかにした。

ええー？、そうかなー。じゅうぶん立派じゃない

やっぱり、義父の好みはわからない。

介護について、私はいつも福祉課の森里さんの熱意におされていた。

結局、施設入所の話しにまとまりかけ、

そして、ちゃぶ台返しがあった。

義弟が反対した。

経済的な事がその理由だった。

夫が説得し、『弟が主動となって自宅介護する』という話しへまとまった。

けれど、ここからが大変だった。義弟はのらりくらりと責任から逃れようとするし、こちらから連絡してもなかなか返事を返してこないし、まったく返事がないことだってある。話しがぜんぜん進まなかった。

介護へお金をかけたくない義弟と、必ず介護を入れなければいけないというソーシャルワーカーさんと福祉課の人。両者の連絡係となる私は板挟みだった。

この間に、介護へ向けての事態が一転、二転、三転…、何転かしていく。見通しがたたず、気分はどんどん真っ暗になる。義両親が長年解決しないで放置したままだった問題が、事態をこじらせていた。

それでも、『退院までにはとにかく義弟とケアマネージャーさん（男性）を面会させましょう』ということになり、どうせ無理だろうと思いながらも面会日を設定してみる。

ところが、義弟がその日にちゃんと現れた。めったなことでは会うこともない、そんな人だ。

ふ～ん、こんな顔だったんだ、と私は横顔を観察した。

ケアマネさんに、予定がかみあわなかったはずの森里さんが現れ（急きょ、予定をおしのけ来てくださりました）、そしてソーシャルワーカーさんに義弟と私。想定以上の出席者となった。

ケアマネさん（男性）がいろいろなサービスについて話してくれたのだが、お金のかかる話しばかりだった。

最低限必要な介護について話してほしかった私はだんだんがっかりしていった。

そんな内容では、きっと義弟が受けいれるわけがない…。義弟は、義父のための食べ物、飲み物は用意してくれる。だけど、それ以外については不明だった。

義弟は終始、不必要なことはしゃべろうとせず、話しを聞いていた。何を考えてるのかもさっぱりわからない。

こうして、面談も終わった。

この時、てっきり義弟とケアマネさんが契約をかわすものだと思っていた私は拍子抜けした。『契約については後日郵送ででも可能だから』との話しだ。

ほんとにこれでいいのだろうか。こんな場に義弟が来るなんて、まったくの奇跡なのに。この面談の設定だってたいへんだった。

面談終了後、私は『伝えきれてない事を義弟にいろいろ話しておかなくちゃ』と思っていた。だけど、先にソーシャルワーカーさんが義弟をつかまえた。

「ちょっと時間もらえます？」

厳しい顔でそう言って、さっさと別の場所へ連れ去ってしまった。

義弟は、病院からマークされていた。義父の入院直後、彼が病院へクレームを入れたからだった。

面談の中で、介護の準備が整う３月の３週目に退院とすることになった。

が、また問題発生。

介護の準備も整わない状態で、義弟が退院日を強引に一週間早めてしまった。
退院時は、私たちの付き添いもいらないと言う。どうも義弟なりの予定があるらしい。

退院前日、義父がはじめてトイレへ立って、転んだという連絡が病院から入った。

ああ～、やっと義父は自分で動く気になったんだ、と私は安心した。

が、その一方、福祉課の人たちは、これを機に退院を阻止し、施設へ入所させられないか、と動いていられた。

夫も私も、必死でやめてもらった。夫は『そんな事になったら、弟は自殺だってしかねない』と嘆いた。

弟の介護は私たちの大きな願いだった。

３年前の義弟は同居していたにもかかわらず、自分の両親が死にそうになっていてもまったくの人まかせだった。だけどその後、少し変化があった。義父のために買い物してあげたりもしていた。

そして、今回ははじめて、介護を請け負うということを同意させるに至れた。たったこれだけのことだって大きな進歩だ。

そして、私たちは『本人が納得できるように行動しなければ、義父の家の問題は解決できない』とも考えていた。そして、義弟自身、介護をしているうちに、介護の仕事に関心を持つようになるきっかけにだってなるかもしれない。そんな淡い期待を私たちはもった。この仕事だったら、体が動くかぎり、歳をとっても続けられるだろう。

それに、もうこれ以上のどんでん返しお終いにしたい！！

病院は、退院日までに準備を整えてくださっていた。泌尿器科の先生が薬を処方し、義父の体から、おしっこ袋も外されていた。『体力的にどのくらい動けるか』、退院してみなければまったくわからなかった。

そして、退院翌日。

義弟から連絡があった。

『食べもしないし、しゃべりもしない』

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看取り（２）ー介護の障害