休みの日は彼に会い癒される日々を
送っており
最愛の人に連絡をすることは
あっても会うことは
なくなってしまっていた。
ある日、
会う約束をしたが後日
キャンセルの電話があった。
この時にはすでに
体がしんどかったのだろう。
気づかなかった。
最悪だ。大バカだ。
あの時って何回悔やんだかな。
③の話の続き
すぐに病院に行ったが
すでに末期で腹水が溜まって
お腹はパンパンだった。
この時すでに脳に影響を
及ぼしていた。
2015年の4月からは
毎日つきっきりで
看病することができた。
大腸ガンからの肝転移があり
最愛の人は脳がアンモニアに
おかされ、徐々に
いつもの最愛の人
らしくなくなっていった。
私が生まれる前から
私のことを
愛していたが
私に死ぬほど酷いことばかり
言うようになりひどい目つきで
睨むようになった。
一度だけくじけたが
母に諭され考え直し
本当は私のことを愛している。
病気が言わせているんたと信じて
看病を再開した。
最愛の人の娘は
耐えられず最愛の人と
距離を置いた。
最愛の人がまさか病気になるなんて
思いもしなかった。
健康なことが自慢だったから、
誰もが病気になるなんて
思ってなかった。
もっとはやく気づいていたら
治療して治る病気だった。
末期になって、
病院に通いだしてから
「私、決めた。手術する。」
と言った。
「決めるの遅すぎるよ。もう手術できない。」
大腸ガンが見つかった時、
延命治療はしない。手術しないと
医師に言ったそうだ。
理由は漠然と
怖かったからだと思う。
最愛の人が小さかった頃、
病気の母や兄弟の看病をし、
看取り、晩年になってから
とても仲良しだった
唯一の家族である
妹を亡くし、愛してやまない
孫を亡くし、娘が離婚をし、
最愛の人は
自殺未遂をした。
生きることに疲れていた。
自暴自棄になっていた。
でも、周りのみんなが
こんなにも自分のことを
愛しているということに
病気になってから気付き
治したいと思ったのだと思う。
すごくバカだと思った。
なんで、手遅れになってから
手術しようと思ったんだ。
私ももっと最愛の人に
連絡とっていれば
よかった。
自殺未遂をした時に…
おばあちゃんなら大丈夫。
強いから。死なない。
と思った。
おばあちゃんが弱っているところを
見たくなかったのかもしれない。
強くて元気で笑顔のおばあちゃんで
あり続けて欲しかったのかもしれない。
でも、人間だった。
おばあちゃんだって、
傷つくこともあった。
耐えられなくて自殺未遂したんだよ。
今になって思い返してみると
自殺未遂した時に私が
お見舞いに行ってたら
おばあちゃんに愛を伝えていたら…
おばあちゃんはどうなってたのかな。
いつももらってばっかりだった。
おばあちゃんだって、
愛を見える形で感じる形で
欲しかったと思う。
おばあちゃんだって人間だった。
ごめん。おばあちゃん。
私が一番大バカだった。
私がこんなにも愛していること
なんでわからなかったのか。
わかってたはずなのに…
違う。私がわかるような形で
伝えてなかった。
繋がってるから大丈夫じゃなかった。
愛はちゃんと伝えなければ
ならないんだ。
この時にグッサグサ
痛いほど知った。
私が一番愛を伝えたいのは
おばあちゃんだった。
でも、おばあちゃんに愛を伝えたのは
手遅れになってからだった。
連絡をしていたら気づいて何とか
してあげられたかもしれない。
後悔してもしきれない思いをした。
この日から会いたい人には
すぐに会いに行き、
伝えたいことがあれば
1日でもはやく伝える。
大好きだと思えば親でも犬でも
誰にでも大好きだと伝えるという
スタンスに変わった。
最愛の人は、
私にだけは排泄介助
させてくれた。
私に酷いことを言っていたのは、
わたしには心から
甘えられたからだと
今となっては思う。
「こんなに私のことをイジメたら、◯◯は、カタワの子を生むぞ」と言われたこともあった。
その言葉には
ビクビクしてしまっていたなぁ…
今思えばビクビクしてたのが
あほらしいのだが。
誰よりも、五体満足なかわいいひ孫を産んでほしい。と願ってくれる人だから。
「包丁持ってきてはやく殺せ」
と言われた時
「扉が開いたよ。はやく逝こう。」
と言っていた時
床ずれで痛そうな顔を
していた時
辛かった。
代わってあげたいけど代わってあげられなくてごめんね。悲しい。つらい。嫌だ。
って大泣きしたら、頭を撫でてくれた。
病気なのに、病気の最愛の人に甘えたのかな?そうじゃないと思ってるけど、
頭を撫でられて嬉しかった。
すごく嬉しかった。
ごめんけど、嬉しかった。
辛い人の辛いことが私にも辛かった。
私の母には、
病気におかされて
おかしなことを言ってから
ふと
我に返り、そんなことを言うつもりなかった。ごめんねと言ったそうだ。
それがつらくて…と
話してくれた。
私はその言葉を一切聞いたことがない。
でも、最愛の人は海のように
大きな愛を持っている、
心の優しい人だったから
思ってないのに言ってしまうことが
地獄のように辛かっただろうなと
思う。
今思えば抱きしめてあげればよかった。
いつも私にそうしてくれた
おばあちゃんのように。
冬に結婚式を予定していたが
最愛の人に合わせて
5月6日にした。
急だったので友だちは
ゴールデンウィークの真っ只中
すでに旅行に行く
予定が決まっていたり
仕事だったりして
本当に来てもらいたい人に
来てもらうことができなかった。
家族結婚式になった。
準備期間は約1ヶ月。
看病しながら結婚式の準備に
追われた。
席次表、席札
和にこだわって
なーくんと力を合わせて
全て手作りした。
熱田神宮にて行い、
食事は神楽家にて行った。
熱田神宮も、神楽家もナイスチョイス!
素晴らしい時を過ごした。
彼の友だちは都合がつけられて
数名出席することができたが
わたしの友だちは一人のみ。
突然のことなのに都合をつけてくれて
ありがたかった。
そして、最愛の人に
最後のプレゼントを
することができた。
最初から最後までずっと
泣いていた。
寝ているのもしんどいのに
車椅子に乗っての出席。
お腹も足もパンパンで
何時間も椅子に座って
辛かったと思うが
辛いなんて一言も言わなかった。
ただただわたしの晴れ姿に
感動し泣いていた。
わたしの手をとり
「これからだよ。◯◯。」
と力強く握ってくれた。
結婚式、間に合ってよかった。
黒地にピンクのバラのワンピースを着て出席してくれた。最愛の人らしく…美しいネックレスをしてビシッとおしゃれに決めていた。やっぱりかっこよかった。
6年付き合ったなーくんも
最愛の人が大好きで
仕事をし、タックに通い
試験勉強で忙しい中
一生懸命結婚式の準備をし
最愛の人のお見舞いにも
何度か来てくれた。
感謝してもしきれない。
なーくんは、友だちが多いし
友達に囲まれての結婚式がしたいと
以前から言っていた。
だから、それが叶わなくなって
申し訳なかった。
でも、なーくんにとっても
私にとっても最高の結婚式に
なったねって後でわらいあった。
ありがとうなーくん。
結婚式をして婚姻届を出したが
最愛の人と1秒でも長くいたかったから
一緒に住むことを延期してもらった。