35年ほど前からタイでお仕事をさせていただいて参りました。タイ国立劇場やホテル.ドゥシタニのシリ劇場で日本の劇団として初めて演劇の公演をしたのです。
主催は、タイ文部省芸術局とタイ赤十字社でした。

当時の国立劇場は、照明器具も、電球切れであかりの灯らない箇所があり、持ち込んだ器材を差し上げてきたりしたこともありました。

上演用の荷物は大きさ厚さ高さ重さ、内容物と形状などのリストを事前に政府に送り、20人の海外公演参加メンバー皆で手分けして運び込みました。37個の荷物になりました。政府との打ち合わせも今と違い、メールではなく、何度も航空便でお手紙のやりとりをしました。

初の海外公演に緊張し、準備にタイを訪問するたびにお腹を壊したものです。

でも、いよいよアルプスの少女ハイジの幕が上がり、ハイジとペーターが客席に登場するやいなや、満席の子ども達が一斉に二人に向かって殺到し、握手攻めで身動きが取れなくなりました。その子どもさんたちの瞳の輝き、大変月並みな言葉ですが、その輝きに励まされて、歌い踊りお芝居をしたのでした。着ぐるみの小山羊の雪ちゃんが足を踏み外して客席に落っこちた時も、ステージに戻れないほどの大人気!

私たちが日本語で演技をしますと、ぴたりの呼吸で同時通訳をして下さるのです。素晴らしい日本語を語られるプッサディさんという方が翻訳、通訳をすべて手がけてくださいました。プッサディさんは、王女様の養育も担当される、文字どおりタイのトップレディでした。日本に留学されたことがあり、本当に美しい優美な日本語をお話しになるのでした。

日本人が反応するシーンに数秒遅れてタイ人の観客の笑いや、拍手が起きたりするのです。その都度、私たちはちょっと間を取ってお芝居を進めました。

はじめは、タイ人向けと日本人向けにステージを分けて上演して欲しいと主張されたバンコック日本人会の方々も、いつの間にか、同時通訳ステージの楽しさに、はまり込んでくださったのです。
両方の言語を楽しめる贅沢なステージだからと。

それから数十年の時を経て、今のタイは国立劇場もLED配備の最新の調光装置と技術者により素晴らしい劇場運営がなされています。

次回はこの続きを書きます。