もともと子供はきらいだった。
うるさいし、しつこいし、純粋なのとデリカシーがないのは紙一重。
どう扱っていいかもわからない。
仕事上、子供の薬をわたすこともあるけれど、説明はすべて親にして、子供の顔を見ることすらしなかった。
そんなわたしに3年前、子供が産まれた。
妊娠はとにかく具合が悪く、何者かに自分のからだを支配される感覚がいやで、誤解をおそれずに率直にいうなら、
「不快」という感情がつよかった。
そんな憂うつな妊婦生活をすごして、とにかく、子供が産まれた。
「産まれてきた子供を愛せなかったらどうしよう」
そんな悩みは、子供の顔を見たとたん、熱々のフライパンにおちた水滴が蒸発する速さでなくなった。
「なんてかわいいんだ。」
「宇宙一かわいい赤ん坊だ。」
「たからものを、産んでしまった・・」
控えめに、そう思った。
そんなたからものと過ごすことはや3年、
わたしの宇宙一かわいいたからものは、
小さいあんよで追いつけないほど速く走り、
もみじのような手でボタンをとめ、
歌ったり、たのしそうにおはなしをするようになった。
そのうえ、
「こはち(息子の名前)がようちえんで避難訓練をするのはね、ママとパパを守るためなんだよ」
とすでに守るがわの意識をもっている。
なんて尊いちいさな人間なんだ・・。
今が人生の黄金期だ、わたしの30うん年の人生で一番幸せなときだ、そう思いつづけて3年たったのだが、
今度は、
「いつまでこの幸せがつづくのだろうか」
ということに毎晩悩んでいる。
いきなり(9ヶ月間の猶予はあったにせよ、そのあいだは可愛さを知らなかったので、たからものとしてはいきなり)産まれて、
わたしの心も身体もうばっていって、(寝不足や公園通いでボロボロのからだ)(でもそれを上回るかわいさ)
今度は母親に育てられたことなんてなかったかのようにいなくなる。(かつての私がそうだったように)
母親って、しあわせで、たいへんで、寂しい。
わたしの息子はもう3歳なので、親孝行の期間は終わった。
いままで生きてきたなかで一番の幸せをありがとう。
かわいくて楽しくて幸せで、でもたいへんでお互い泣いくときもあったり、そんな時期がもう少しつづくだろうけど。
寂しいきもちは全部わたしが引き受けるから、あなたは前だけを見て、明るい未来に向かって楽しく生きていってね。