バチェラーシリーズを毎回楽しみにしていたのですが、

 

今回のシーズン5、

どうしても記事に書きたくなる素敵な女性の虜になりました。

 

そうです。西山さんです。

 

「うちの家族はドライだから」

「昔スポーツ刈りだった」

「やりたい事とかなくて」

 

SNS時代の影響か、

皆なんとなく自分を現物よりも大きく見せようと、

見栄を張りがちな昨今で、

 

見栄のカケラも感じない西山さんの潔さ。

 

日常ならまだしも、

TVショーの中でこのメンタルを保てるって、

一体どういうことですか?

 

「どう見られたい」という、

浅はかな承認欲求や自己顕示欲って、

大なり小なり誰しも持っているものと思っておりましたが、

 

「やりたいこと?なきゃダメなんですか?なんか悪いですか?」

と言わんばかりの堂々たる姿勢。

むしろ聞いた側が平謝りしたくなる事案でした。

 

家族は和気藹々が良い!とか、

やりたい事がある人が素晴らしい!とか、

 

SNSで青々とした隣の芝が嫌でも視界に入る時代からこそ、

良い悪いをジャッジをしがちですが、

 

本当はあらゆる物事に良いも悪いも無く、

ただの事実があるだけです。

 

「客観的な、ただの事実」を自分自身のホームポジションに出来れば、

見栄のための行動をしなくて済むので、

本当にやりたい事に時間を割けます。

 

やりたい事がわからない時って、

誰かの目線を気にしてヘトヘトになっている時かもしれません。

 

ということで、

見栄を張るのをやめます。

 

私は、「〇〇やっといて!」と5分前に言われたことも

忘れてしまう事があります。

 

あと、どこに行くにも割と出発時間はギリギリです。

 

計画性のある人間でなければいけない

という見栄があった時は、

 

計画性の無いムーブメントを起こしてしまうたび、

自分を責める、そして解決もせず繰り返す、

という負のループでしたが、

 

忘れっぽい、計画性が無い、という自分をを責めもせず、

ただの事実として認識すると、

 

「忘れっぽいから思いついたらメモ取ろう」と付箋を色々なところに置いたり、

「忘れっぽいから言われたらすぐやろう」と取り組めたり、

 

「いつも出発がギリギリになるから、

早めに着いたらこれやりたい!というものを用意しよう」

と考えたり、

 

事実として客観的に捉えられると、

途端に解決策が湧いてきます。

 

自分を責める事って、ある種の逃げかもしれません。

「今はダメだけど、いつかは理想の自分になれる!」という幻想の中に居て、

具体的な解決策を行わない。

 

「自分は計画性が無いな」と、

自分が認めたくない自分を認めてからじゃないと、

解決策に取り組めないですよね。

 

「無計画あってはいけない!こんな自分はダメ!」と自分を責めているうちは、

いつか現れるかもしれない計画性のある自分に期待している状態です。

 

その期待があるうちは、

無計画によって悲劇が起きたとしても、

「今日はたまたま無計画だっただけ、どこかに計画性のある自分がいる。」

という事になり、解決策を行わなくて済みます。

 

ということで、

見栄を張るのをやめるぞ!と決めた結果、

 

自分を責めるということが現実逃避であるという事と、

 

自分自身の認めたくない嫌な要素は、

ただの事実として認められて初めて解決策へ移行できることが分かりました。

 

もし今後認めたく無い嫌な自分が出てきた時は、

自分を責めるよりも、不都合な現実をまず認めようと思います。