幸せって、なんでしょうか

 

 
 

 

『君の膵臓をたべたい』の著者住野よるさんが、「小説家になりたかったのも、面白いと思われる小説を書きたかったのも、幸せが足りないという気持ちがあったからでした。

 

 

 

きっと、ぼくだけじゃなくたくさんの人が、幸せを得たいという気持ちから行動を起こし、望むものを掴んでこられたのではないでしょうか」といっています。

 

 

 

また、「幸せを溢れさせることができなくなってしまった心、現状に満足できなく心は、ひょっとしたら能力といえるかのかもしれません」といっています。

 

 

 

みなさんの行動を見ていると、「足るを知る、なんて言葉とは真逆。今よりもっと、今よりもっと」という住野よるさんの言葉にも、納得します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たったひとりでもいいから、真剣に本気で、自分を信じてくれる「味方」がいれば、人は輝くことができると思います。

 
 
 
 

 

高校時代の同級生、A美は、美大に進んでデザインを学んでいたのですが、大学卒業後に、デザインをやめてしまいました。

 

 

 

 

 

先生との関係に悩んだ末の決断です。

 

 

 

 

 

先生の厳しすぎる指導が、A美には、教育という名の「悪意」のように映ったようです。

 

 

 

 

 

心の痛みに耐えかねたA美は、母親に相談します。

 

 

 

 

 

ですが、信じてもらえませんでした。

 

 

 

 

 

母親が信じたのは、A美ではなく、先生でした。

 

 

 

 

 

「あの立派な先生が、いじめのようなことをするはずがない。あなたの思い過ごしよ!」と足蹴にされたそうです。

 

 

 

 

 

なんとか卒業までは耐えたものの、その後、彼女にデザインを続ける気力は残されていませんでした。

 

 

 

 

 

 

のちにA美は、「だれにいっても信じてもらえなかったことが、いちばん苦しかった」と話していました。

 

 

 

 

 

 

だれかひとりでもいいから、A美の「味方」になってくれる人がいたら、彼女の心の傷は、もっと早くいやされたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

信じてくれる人がひとりでもいれば、救われます

 

 

 

 

あるとき、結婚してお子さんがいる私の友人が、こんなことをつぶやいたことがあります。

 

 

 

「子どもはいいな。どんなときでも親の味方でいてくれるから」

 

 

 

私にとって、真面目で努力家の友人は、とても強い存在です。

 

 

 

スーパーマンに見えた友人も、じつは弱さをもつ人間なのだと思いました。

 

 

 

「どんなことがあっても、彼は子どもの味方だし、子どもは彼の味方です。

 

 

 

そのことがわかっているだけでも、生きていくエネルギーが湧いてくる」ことに気がついたのです。

 

 

 

だれかひとりでもいいから、自分を信じてくれる人がいれば、自信を持って生きていけるのだと思いました。

 

 

 

どんなに強そうに見えても、人間は弱さを持っています。

 

 

 

目の前に困っている人がいたら、自信をなくして佇んでいる人がいたら、涙にくれている人がいたら、「あなたなら大丈夫」「信じているよ」と、ひと言でいいから、声をかけてあげましょう。

 

 

 

みなさんが「この人を信じてあげよう」と思ったとき、必ずその思いが、相手の人生を好転させる力になります。