相手に信頼感と安心感をお届けするため、「あなたを大切にもてなします」という気持ちを、指先にまで込めるのです。

 

 

人の持って生まれた気質は、自然に、動作や姿勢にあらわれます。

 

 

 

自分がそうされたら、ものすごくうれしいからです。

 

 

 神様や仏様などを拝んだとき、特別なオーラなどを感じる、光が差していると感じる、というような場面に「後光」という言葉を使って、気持ちを表すことがあります。

 

 

 また、それだけでなく、立派な人物や、素晴らしい人物と接していると、オーラのようなものを感じることがあります。

 

 

 

そんなときも、「後光」を用いることがあります。

 

 

 

 

 「後光」を用いた表現でよく使われるのが「後光が差す」です。

 

 

 

 

「後光が差す」は本当にありがたいと思うような状況や、神々しいと拝みたくなるような場面で用いる表現です。

 

 

 

 

ものすごく活躍している人や、自分に対して、ものすごくやさしく接してくれた相手。

 

 

 

そんな人がいたら、まるで光が差しているように輝いて見えませんか? 

 

 

 

そのような場面で、「後光が差す」という表現を用います。

 

 

 

 

 余裕があって、機嫌がいいときは、ほとんどの人は人当たりがよくできるものです。

 

 

 

自分の衝動や欲望を意思で抑え、道理にかなったやり方で、合理的良識で振る舞うこともできます。

 

 

 

 ですが、心に余裕がなくなると、欲求が満たされず、落ち着かない心になり、人にやさしくできなくなったり。

 

 

 

やることが多くて余裕がないと、少しずつ相手への気づかいが薄くなり、その気持ちが、動作や行い、姿勢にもあらわれてしまいます。

 

 

 

 ですが、「心に余裕がないときに、どのように振る舞えるか?」というところこそが、人からみられているのです。

 

 

 

 ですから、切羽詰まったときにこそ、しとやかに振る舞います。

 

 

 

疲れているときこそ、背筋をのばします。急いでいるときこそ、走りません。

 

 

 

 日頃から「後光が差す」ように振る舞いましょう。