お箸を割るときのマナー
友人Kさんは、食事をするとき、さりげなく「自分に背を向けて、割り箸を割った」のです。
「どうして、わざわざ壁を向くのだろう?」と首を傾げましたが、間もなくその理由がわかると、Kさんに好感を抱くようになりました。
小さなやさしさ
「割る/割れる」という言葉は、「忌み言葉」のひとつとされています。
忌み言葉とは、縁起をかついで「使うのを避ける言葉」のことです。
「割る/割れる」は、「別れ」を連想させるため、結婚式などのおめでたい席では、忌み謹んで使わないようにしています。
「割る」という行為も、相手に不吉な予感を抱かせることがあります。
ですから昔は、「テーブルの下など、相手の見えないところで割り箸を割る風習があった」のです。
Kさんは、お箸を割るときのマナーを知っていたのでしょう。
「壁を向いて割り箸を割った」のは、まわりに対する思いやりが自然と身についていらっしゃるから。
「不吉なことは慎もう」という気づかいのあらわれだと思います。
Kさんの「小さなやさしさ」が「大きな感動」を与えたのです。
さとられない習慣
傘を閉じた状態で持つときは、傘の先で後ろにいる人をつくことのないように、傘の先を前向きにして持つ。
タクシーに乗るとき、スカートや着物をお召しの女性がいたら「では、私が先に」とひと声かけて奥につめる。
一般的には、運転席の後ろの席が上座なので、女性を奥に座らせます。
こうした振る舞いを、さりげなく自然に行うのが「さとられない習慣」です。
「やってあげている」という善意の押し付けがないので、相手から好感をもたれます。
「習慣」になるまで続ければ、意識しないでも自然とできるようになります。
だれも見ていないところでも自然にできる「気づかいの習慣」が、意外なところで、人の心に残るのでしょう。
無意識レベルでできるようになったとき
私が販売員になったとき、先輩から「どんな状況でも、笑顔でいなさい」と意識的に笑顔をつくっていたら、やがて「意識をしなくても、笑顔でいられる」ようになりました。
無意識レベルでできるようになったとき、それは「習慣になった」といえます。
当時のコーチは、「意識することで、人生が変わる」とおっしゃっていました。
ということは、なにも意識しなければ、「昨日と変わらない今日の自分」が永遠に続きます。
みなさんは、自分の人生を変えたいでしょうか。
このままでいいでしょうか。
人生を変えたいと思うなら
「人生を変えたい」と思うなら、はじめは「意識をして」やり続けることです。
やり続けているうちに、やがてそれが「習慣」となり、「習慣」になれば、「意識しないでも、自然とできる」=「さとられない習慣」が身につくのです。
「さとられない習慣」こそが、実は、もっとも相手の心に届きやすいのだと、私は思っています。
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