私にとって大きな意味を持つことになった2014-15シーズンがとうとう終わってしまいます。

ジェレミー・テン選手のロステレコムへのアサインと現役続行を決意したことを知って歓喜とともに始まったシーズンは、新たな人生のステージに向けての出発を決めたという引退の報に少しの寂しさと少しの安堵、そして何よりも彼らしい決断に納得して終わることとなりました。

 

たぶん彼と出会わなければ私とフィギュアスケートの関係はもっと違ったものになったはずです。運命という言葉ですませてしまうのはチープですが、それでも運命としかいいようがない何かに導びかれた7年間でした。

 

一番最初、演技を見て好きになったわけではなく、本人の外見に心引かれたわけでもなく、実はコーチの笑顔が彼に注目するきっかけだった、というのはジェレミー本人にもまだ言ったことがない事実です。そして、最初コーチのニールのほうを出場する選手のジェレミーだと間違って認識したことも。

 

スケートファンが特定のスケーターのファンになるきっかけは色々あると思うんですけど、私ほどまぬけな出会いからはじまったファンというのもそうはいないのではないかと思います。

 

初めてあったのは彼のシニアデビューのシーズン、2008年の北京で行われた中国杯のときでした。空港から直行したホテルのエレベーターの中でジェレミーとコーチのニールと乗り合わせたことが彼をしるきっかけでした。引退したジェフの変わりにアサインされた選手ということで名前は知っていましたがそれ以外の情報はまったくなかった当時の私。

たまたま乗り合わせた二人のもっていたスーツケースに「Jeremy Ten」というタグがついていたことで、彼らが出場するスケーターであることを知りました。しかし、英語も話せない私のこと、乗り合わせたときには日本式の礼として会釈するのが精一杯でした。それに対してとてもフレンドリーに笑顔をみせてくれたのがコーチのニールでした。その笑顔がとても素敵だったので、前半は(自分の注目スケータは後半に固まっていたので)Jeremy Tenさん注目して見てみようかなーと思ったのが最初でした。ちなみにこの時点でコーチのニールのほうをジェレミーだと勘違いしています。本当のジェレミーは緊張のせいかうつむき加減のままだったので、この男の子はどういう立場なんだろうなーなんてのんきに考えていました。無知って怖い。

 

試合が始まって、彼の名前がコールされて、先ほどの笑顔が素敵な男性をさがしたのに見つからなくて、あれ?と思っていたら、隣にいた男の子のほうが氷上にいて、初めて自分の勘違いを知ったという、今となっては笑い話です。

 

でも、実はこのときの中国杯での彼の演技はそれほど記憶には残っていないのですよね。

ただ、やたらと縁があったのか、大会期間中、ホテルのあちこちでばったり何度もお会いして、最後のほうには「やあ、また会ったね」という感じになるぐらいだったのですが、そのときに、最初にあったときはうつむいて一言もしゃべらなかったジェレミーが、だんだん本来の人懐っこい陽気さを取り戻してきて、こちらにも笑顔で話しかけてくれるようになって…なんだかそんな交流も初めてだったしうれしくて。帰国日に会ったときに思い切って一緒にお写真とらせてもらったりと、すっかりオフアイスの彼の魅力にははまっていました。

 

その後、ナショナルでジェレミーが3位になったときの演技を動画で見たとき、

初めて彼が私好みの演技をするスケーターであることに気がつきました。たった2ヶ月で見違えるように上達する伸び盛りの演技にもびっくりしましたし、またその方向性がとても好みだったのです。

 

そこで、中国杯で一緒に写真をとってもらったお礼と、ナショナルの演技の感想を手紙にして送ったのが、初めてのファンレターでした。当時はまだSNSもそれほど発達してなかったし、どこに送ればいいのかわからなくて、カナダのスケート連盟や練習しているリンクなどに、彼宛の手紙を送ったら渡してもらえますか?というような問い合わせをしたのも懐かしいです。

 

そうして、時折試合の感想を送ったり、ごくごくまれには彼から返事が届いたり、そんな関係が結構長く続きました。そのうちSNS経由でも連絡が取れるようになると、手紙ではなくメッセージもそちら経由が主体になりましたけど。

 

最初の年は引退したジェフの代わりにスケートカナダと中国杯だったのですが、翌年・翌々年はNHK杯とスケートカナダという組み合わせが2年続きました。

つまり2年連続で来日しての試合があったので、私としてもこれは応援しないと、とすっかりこの頃には彼の演技にも心を奪われていましたので張り切って歓迎準備をしたりしていました。

初めての来日にあわせて作ったバナーは、結局最後の試合となった2015年の国別対抗戦まで、日本での試合の時は全て壁に掲示することができました。

毎回作り変えるより、いつも同じバナーがあれば、ぱっと見たときに「あ、いつもの人がまた来てくれてる」って思ってもらえるかな?という意図で敢えて同じものを使いまわしていました。自画自賛ですが、デザイン的にも、シンプルだけど特徴もあって、わりと遠くからでもはっきりきっぱり見えることを重視したのでどんな会場でもわりと見つけやすかったんじゃないかな?と思っています。

 

ただ、最初のころは気がつかなかったのですけど、何試合も見ていくうちに、彼はきっと試合前は絶対周りなんて見ている余裕がないしバナーにも気がついてないだろうなと思うようになりました。それでも、試合が終わって選手席とかに出てきたときにもし気がついてくれたら喜んでくれるかしら?という思いで出し続けました。

 

初めてジェレミーと知り合った中国杯から7年、誰しもアップダウンはあるとはいえ、彼はどちらかというとそのアップダウンがとても大きく、特に本来だったら一番伸びるだろう時期に長く苦しい怪我をしたりと、どちらかというとダウンのときのほうが多かったように思います。それでも最初のころは3-3どころか3-2でもコンビネーションが決まれば御の字といった状況だったのが、3-3は当たり前のようにこなして3Aもプログラム中で降りられるようになったり、最後のシーズンなどとうとう4Tまで成功させてしまったのですから、そういう成長の軌跡をずっと見せてもらったのは幸せなことですよね。

 

あまりにも苦しい時期は、途中でもうこれ以上続けられなくてもしょうがないと内心では覚悟をしたこともありました。

でも、その苦しい時期を乗り越えて、彼は何度も戻ってきてくれたし、そこからまた苦境に陥っても、最後まであきらめない強さを年々身につけて、ISU公認試合での銅メダル獲得や、チャンピオンシップのFSの最終G入りを果たし、最後のシーズンとなった今シーズンにはとうとうGPSに再びもどってきて, 25歳にして初めて試合で4Tを成功させ、ナショナルでは過去最高となる銀メダルを獲得し、6年ぶりの世界選手権の出場を果たし、そして国別対抗戦への出場までその手につかみました。

 

沢山の苦しむ姿も見てきたけれど、それを凌駕する素晴らしい演技や素晴らしい表情も沢山見せてもらいました。

その全てをファンとして見届けさせてもらったことに今は感謝の言葉しかありません。

 

そして、引退の発表。

もし国別対抗戦がなく世界選手権で終わりだったとしたら、おそらく私はもっと悲しかったし、もう1年続けて欲しいと心から願ったと思います。

あのあまりにも辛そうだったFS、あれが最後の演技であって欲しくない、そう思っていました。

いい演技ができなかったとき、彼はいつも「いい演技ができなくてごめんね」と私に言っていました。その言葉でキャリアを終えて欲しくなかった。

 

でも、国別対抗戦の後、FSは確かにミスのない完璧な演技ではなかったけれど、私に「ごめんね」とは言いませんでした。ミスはあっても彼が滑って見せたものに納得しているように感じられたし、私にとってもミスがあってもこれは素晴らしい演技だったと心から思える演技でした。

 

だから、最後の最後、ぎりぎりまで迷った結果の結論が「引退」だということを知ったとき、もちろん寂しさは隠しようもなくあったけれども、それと同じぐらい、あるいはそれ以上に、彼自身が満足のいくところまでやりきって、次の道に進むことを自分の意志で決められたことに安堵と感謝の気持ちが自然と沸いてきました。

 

私は7年もの間、自称・世界一幸せなファンとして彼を応援させてもらったので、少しでも恩返しになればと、国別対抗戦のときにファンミーティングを企画させていただきましたが、多くの方に参加していただけたのは幸せなことでした。彼が自分で思っている以上に、彼の演技が好きな人が沢山いること、彼の演技で幸せになったひとが沢山いること、そんな実感を少しでも多く感じてもらえてたらうれしいです。

 

彼が現役を引退した以上、ファンとスケーターという私と彼の関係は今後変わってくるでしょう。

残念ながら引退後も各国のショーに引き合いが切れない一部のトップスケーターというところまでの実績はないので、もしかしたらもう私が彼のプログラムを滑る姿をみられることはないかもしれません。

 

今、ツイッター上で、彼宛の手紙があれば預かってまとめて送りますよと呼びかけていますが(というのも、引退後も確実に届く手紙の送り先を知っている人が他にはたぶんいないと思うからなのですが)、そうやって彼のファンからの言葉を届ける役目を終えたら、私のファンとしての活動も一区切りかなと思っています。

 

私は、ファンとして本当に彼と、そして彼のご両親にも大切にしてもらったと思います。そして、今はジェレミーは私のことをただ単にファンとしてだけではなく、自分のfriendだと言ってくれますし、ご両親も私のことを息子の友達として扱ってくださいます。

なので、今後はファンとしてではなく、遠い国に住む一人の友人として、彼のこれからの人生が素晴らしいものであるようこころから応援したいと思います。直接手助けできることなどないかもしれませんが、いつでもどんなときでも受け入れてくれる人がいるんだという防波堤のひとつであれればうれしいです。

 

2015630

私にとって、とても大切なシーズンが終わる日に。