光は必ずある。

シルバーウィークなる休日が終わりに近づいているけれど、

目まぐるしく、生きるということを考える日々となった。

観なくてはならない。


そう思った。


きっかけは、太宰の特集だと表記されてたものが、

予約録画後に見たものが違っていた。

という、ひょんなことからだった。


そこには、ゴーギャンの生涯が紹介されていた。

遺書として描いた作品が強く残った。

正確にはそのタイトルに惹かれた。


「我々はどこから来たのか

我々は何者か

我々はどこへ行くのか」


東京国立近代美術館での展示は残り少なかった。

正直、ゴーギャンは馴染み薄かった。

50点近い作品を、ゴーギャンの生きてきた順に観た。

段々と近い存在となって、ゴーギャンが現われてくる。

しかし、強く会いたいのは、あの作品だった。


「我々はどこから来たのか

我々は何者か

我々はどこへ行くのか」


一番の人だかりで、ゆっくりと進むしかなかった。

それがまた良かった。

じわりじわりと蟹のように歩きながら、

その大作と対峙する事ができた。

右側からだったのだが、生命を宿ったばかりの子供から

死を受け入れようとしている老人まで、

ゴーキャンの生命をかけた集大成を全身で感じた。


この作品を描きあげたゴーギャンは自殺を図ったという。

しかし、劇薬を飲みすぎて吐き出し、死ぬまでに至らなかったらしい、

アトリエに戻ってきたゴーギャンがこの作品を観て、また生きた。


それは作家にとって幸福な、満足なものであったからなのか?

絶望を抱え、苦しくて、それでも描いて、描いて、

絶望を超えて、自らが描いた作品に助けられる。

その先がまた絶望になるかもしれないのに、また生きる。


「我々はどこから来たのか

我々は何者か

我々はどこへ行くのか」


私には当然、その意味や答えなんか分からない。

しかし、私の中に強く強く残ったのは確かなこと。