私はそれから闘った
わけのわからぬものと
我が儘と思われたことだってあると思う
ずるいって思われたこともあると思う
5年生の担任の先生は
最初は戸惑いながらも
決して無理をさせようとはしなかった
私が無理と言ったら
わかった
と言う
それが先生との約束だった

どこまでわかってかわからないけど‥
私がいない時クラスで私の話が出たらしい
“なんであいつだけ特別なの?”
“元気ぢゃん”
とにかく“なんで?”
がいっぱいだったと思う
でもそれに答えられる人はいない
だって私もわからないのだから
なんの病気なのか
そもそも病気なのか

暗黙の了解で誰も聞かなかったことを1人が聞き始める
先生はどう説明したかはわからない
でも彼は結局私に問い詰めることはなかった

彼の疑問は悪いことではない
むしろ正しいこと
でもとうとう教えてもらえることはなかった
好きな教科だけでれば良い
いることに意味があるんだから

そう言われて学校に行くけど
私は好きな教科とか選ばなかった
だって私が好きなのは
音楽の授業だから
1番出れない
音楽の授業。
小学校1年生の時の夢は歌手だった
自分が歌ってる絵を何枚も書いた

嫌いな体育は自由に動けるから出ることができた

引きこもり中はテレビから流れる音楽も嫌だった
CMも音楽が必ずある
私は音から逃げられないことを知った
私は進級した
通知表は出席してない教科が多く判定出来ないため斜線があった
それでも公立小学校は進む
でも勉強は遅れてなかった
先生もプリントくれるし
テストもくれる
私はママに勉強を教えてもらい
家でテストをやったりした
お父さんは何も言わないけど
文句も言わず私達の生活費、治療費の為に働いてくれた

新しい先生は男の先生だった
先生はちゃんと話してあるからと言って
安心して行けるよう新しい先生のクラスに送り出してくれた

相変わらず出れる授業しか出ないし
席は仲の良い友達の側で特別待遇だった