『あの頃の自分は何を考えていたのかな?』
ふと立ち止まって振り返ってみる事、大事ですね。
スタート地点で想像してなかった自分に変わっていい、けれど今居る場所の入口も大事。
前だけ向いて進んでいると、ときに大事なものを見失ってしまうから。
失ってからじゃ遅いから。
もちろん、失ったからこそ得るものはある。
失ったものor失ったからこそ得たもの、どっちが欲しいかですね![]()
私は今大学4年生で、来年からは外食の会社に入ります。
やりたかった事(面接でも語った事)、
それは『子供からお年寄りまで安心して食事が出来る、そして、笑顔溢れる空間を創る事』
だって、食事は本当に大切だって、
中学生の頃からいろんなダイエットを繰り返してきて辿りついた答えだから。
でも、私の夢、関心は食だけにとどまっていません。
人はその人が気が付きもしない事がストレス源になっている。
例えば、香り、気候、色、手触り、サイズ、等など
5感ならぬ6感までもフルに繊細に考慮して
快適な空間をプロデュースする事、それが私の最近の(就活中も)夢でした。
いっちゃえば、人は皆いろいろ抱えてるけれど、そこに首はつっこまない。
ただ、ふと立ち寄れる場所、安らげる場所、心地よい空間、
それを創る事(それに出会える場所を創る事)がしたかった。
時間が流れる中で、自分にもいろいろあった。
だけどそれを共有する人を欲するわけではない。ただ、そっとしてほしい事もたくさんある。
強くなったのかもしれない。一人で乗り越える術を知ったのかもしれない。
ほんの、少しだけね。
そして、自分も人に対してそっとしておく事を見に付けたかもしれない。
そして、書いたような夢に変わってきたのかもしれない。
中高の頃は、悲しさ、寂しさ、弱さ、辛さ、苦しみ、悩み・・・
それらを一生懸命聞いて自分の事のように一生懸命考えて一緒に味わい乗り越えてくれる人が欲しかったかもしれない。
だから、自分がそういう大人になろう、そしてこの世から孤独で苦しむ人、一人ぼっちな人が居なくなるようにって思ってた。
弱い人を見捨てない社会にって願って。
少なくとも自分は、人の弱み苦しみに寄り添って生きる人間になろうって。
弱い人を見捨てる社会って強い人にも生きにくいって事に強い人間は早く気がつけばいい←上から目線(笑)
そんな私の周りには、同じベクトルも持って頑張る友達が居る。
彼女は医学へ、私はリベラルアーツの大学へ進んだけど、
向かってる先、目指すものが一緒の抽象的に夢を共有する友達。
お互いアクセスが違う、手段が違う、でも目的は一緒。
だったはずなのに、
私はいつのまにか人の苦しみ、辛さ、に向き合う事から徐々に逸れた道に向かっている事に最近気が付いた。
自分はもちろん、人の辛さ、苦しみと常に向き合いながら生きていく事はそれはそれはキツイ事。
それより、深く考えないで心地よさをひたすら追求して生きていく事、その方が生きやすい。
いつのまにか私はそっちに向いていた。
まつでもせっかくだから、
この両方のアプローチで人に寄り添える、そんな人生にそんな大人になれたらいいのかな![]()
転んでもただでは起きない
とまぁ、21歳最後の日にほげほげと考えているのでした
みなさん暑い暑いと言ってらっしゃいますが、私にはまだまだ物足りません

湿度が低く炎天下でなければ、45度位いっても元気ピンピンです


ほんっま夏女、夏が好き(寒いのは大嫌い)だなぁって思います

気温に比例してグングン、テンション、パワーが上がります

写真は最近読む本です

元気だからといっても家が好きなところが…(笑)
『ランナー』『一瞬の風になれ』は、彼がスポーツをガチでやってきた人で話を聞く内に高校生の運動部系の小説が読みたくなりました


『カフーを待ちわびて』は母に進められた気がしますが、それとはあまり関係なく表紙と舞台、登場人物、ストーリーに惹かれました

一般的な事言っても仕方ないかもですが、
一般的に、純粋なまま大きくなっていくのは男性が多い気が…(笑)
女は複雑だ(笑)





