東京に来て苦しかったのは
いわゆる「これが良し」「こうあるべき」「それはちょっとね」という得体のしれないナニカを
内面化してしまったから。
そしてそれを取りこんで自分や人を縛りたくないのに
そこからfreeになる術がわからず囚われていた事。
旅に出ればそんなもの存在しない。
&逆に、自分が内面化したそんなものに気が付ける。
両親は教育(広い意味で)を大切にしてくれたから、
やりたい事なんでもやらせてくれた。
人に迷惑をかけない、嘘をつかない、警察のお世話になる事はしない、
その範囲内ならしたい事すればいい。
人がなんと言おうと自分が信じる道を進めばいい。
ただ、そこに関わる全責任は自分で負いなさい。
そういう育て方をしてくれた。(と、私は思っている)(笑)
出身の中高(一貫校)も果敢な若きアメリカ人女性がその昔、
日本の女性にも教育を、自立を、って建てた学校だったから、
いわゆる「こうすべき」「ああすべき」に囚われる教育じゃなかった。
だから卒業生には前例のない事する人が多く、
同級生達もfreeでfriendlyでhelpfulな最高な仲間。
それなのに・・・それなのに・・・
自分の当たり前だった世界から徐々に離れていった。
得体の知れない「こうあるべき」なにかに囚われていった。
自由に生きなさい、自立しなさい、そんな空気ではなく、
自分だけでなく人までも縛り、キチキチ意味のわからないナニカを大切にこじんまりネチネチ生きる、そんな世界が見えていた。
心はfreeである事、どこに居てもそう生きていけたらいいって思う。
可能なのかは知らないけれど(笑)
無意味な縛り、
無意味な壁、
過剰な偏見、思いこみ、
そんな物からfreeにまっさらな気持ちになりたかった。
社会化や文化化を拒むわけじゃない、だけど要らない物まで身につけたくはなかった。
人や自分を縛る物、苦しめる物、傷つける物は出来る限りそぎ落としたかった。
A→B(AならばB)
当たり前のように考えるそこに「え?どうして?そうでもなくない?」って突っ込んでみるとよくわかる。
A→Bとさせるナニカが自分も人も縛り、世界を狭めている事に。
「社会は~だ」っていろんな人がいろんな事言うけれど、
絶対的なものではなく、相対的なもののはず。
少なくとも自分がそう思うのなら、自分にとっては真実。たとえ暫定的であれ、断片的であれ。
人間にはきっと、全体を見渡す事など出来ない。
これから社会に出るにあたって、世の中で言われる「社会は~だ」に大きくビビっていた。
でも、最初からそれを内面化して入っていくのってなぁ~
そんなわけで、
こうなんだって思い込みは捨てまっさらな気持ちで自分の五感で感じとっていけたらいいなって思った。
人はそれぞれ自分だけの人生を生きている。
そんな事を感じたり。
旅に出ると特に、differenceを感じられる。
自分の当たり前は誰にとっても当たり前と思わない事、大事。
何に価値を置くのか、そこに違いがある事を知る、大事。
そして、違いをそのままそうなんだって思える事、大事。
違っている部分も、互いに尊重しあえる、ありのまま受け入れ合える関係が心地よい。
先日から空気の匂いがガラッと変わった事、
日が長くなった事をよく感じます。
桜が咲きそうな匂いを感じます。
あ~冬も終わるな~春が来るな~そんな事を感じています。