12月15日
12月15日の夕方のことでした。お父さんが亡くなりました。2ヶ月半の短い闘病生活、後半は毎週末実家に帰省し、仕事も出来る限り出社し働き、それはもうバタバタな日々でしたが、涙はもう一生分流したと思うし、ようやく落ち着いて、年の瀬にこうしてブログを書けています。31年間の人生で間違いなく一番悲しい出来事で、間違いなく今までで一番の後悔を感じています。でも、それと同時に、父の病気と死は、私にいろんなことを教えてくれました。つたない&長くなりますが、絶対に忘れたくないので、綴ります。10月上旬、父、がん発覚。離れて暮らしているので電話で報告を受ける。すい臓がんで、肝臓に転移していて、手術はできないと。余命は1年。え、なにそれ。。。まだ全然実感がなかった。この時はまだ、いつものお父さんだった。泣きじゃくる私に対し、電話越しで「びっくりさせてごめんな」と。私が、「まだ結婚式にもでてもらいたいし、孫も見せてないし、私お父さんに何もしてない。まだ元気でいてくれないと困る」と、強がりながらも伝えると、笑いながら「焦って変なのにひっかかるなよ」と、言いました。すごくお父さんらしい返しに、安心したのを覚えている。この時は、そんなお父さんの様子から、まだお父さんが亡くなるかもしれないなんて、全然ピンと来なくて。(というか今もピンと来てないかも)だから、とりあえず直属の上司にだけ報告して、月末に有給とって実家帰る航空券をとって、「あー交通費やばいな。でもなるべく多くあっとかないと。でも帰れて月一かなぁ。大変だなぁ。子供は無理でも、結婚相手くらいみせたいなぁ。帰省しない週末は婚活しようかなぁ。。。」なんて、ぼんやり考えてました。11月になって、引き続きぼんやり日々を過ごしていたら、ある日兄から電話。内容は、・転移している肝臓の方の腫瘍が大きくなってる。・脳梗塞も起きている・年内もつかどうかわからない、親戚には会いに来てもらった方がいい。と、主治医言ったという話だった。まだ実感がないまま、のんびりしていた私は、自分にいらだった。「なんでのんびりできたんだろう?がんっていうのは、恐ろしい病気なんだ・・・わかってたはずなのに。」ちょうどその頃、母も仕事を調整したりして、ここから治療がんばろうってときだった。やっと情報が色々集まってきて、生ジュースつくってみようとか、少しでも運動しようとか、これから実践するところだったのに・・・希望がない状況で、お父さんに会うのはつらいと思った。自分の中でどうすればいいか、答えは出ていなかったけど、とにかくできるだけ会いに行くことにした。11月はほぼ毎週末帰省して月末には1週間の有給をとってほとんどの時間を病室で過ごした。足湯をしてみたり、一緒にテレビをみたり、穏やかな時間だった。食欲が全然なくて、食事の時間に食べるように促すと、「あれもこれもすきだったのにな・・・こんな食べられなくなるなんて、情けないな」と、悔しそうに言いました。この頃からやっぱり少し様子がおかしくて、一度話したことを忘れてしまったり、私が東京での仕事の話をすると、「東京・・・?ここは今どこかね」と、もともと関東が地元なこともあってか、記憶が混在しているようで、そんな発言があるたびに、家族は不安になりました。大好きなアメトークを借りてきて一緒に見たけど、前みたいに、豪快な笑い声をあげることはなかった。わたしは病室で父と二人の日なんかには、「もし死の運命から逃れられないなら、せめてどうか、家族が揃っているときにして。今私しかいない。今はだめ」と、思ったりもしました。あと、父にこんなことを聞きました。「退院したら、したいことあるの?」父は、「そりゃぁ、色々あるよ。テニスだってしたいし、散歩して、いろんなとこ行きたいよ」と、答えました。私は、少し意外だった。お父さんって、本当に欲がなくて。普段の生活も、ルーティンワークみたいな仕事をして、夜はお酒呑んでお笑いや映画を見て、お風呂入って本読みながら寝落ちするっていう、平坦な日々だし、自分で言うのもあれだけど、こどもたち3人は自立して、それなりに幸せそうに生きていて、孫もうまれて(兄は子持ちです)妻ともまぁまぁ仲良く暮らしているし、こんなこと言ったらお父さんに怒られそうだけど、「これ以上人生でやりたいこととかあるのかな?もう満足してそう」なんておもってた。この頃からお父さんはよく泣くようにもなった。お父さんの涙なんて、お母さんもほとんど見たことなくて。子供からすると親って、こわいものとかできないこととかなくて、強い存在な気がして、泣くなんて戸惑っちゃう。でもこうしてお父さんの弱さをみて、親も一人の人間だな、死ぬのも怖いし、60代だったらまだまだやりたいこともやまほどあるよな・・・と、当たり前のことをまた、実感しました。12月に入って、病状が悪化。主治医からも覚悟するように、なるべくそばについているように、といわれて、私は仕事をたくさん休んだ。お父さんはほぼ寝たきりになって、しゃべるのもままならなくなった。それでも、たくさんのひとがお見舞いに来てくれた。親戚、近所の人、昔の同級生、飲み友達。つらい闘病生活で、私たち家族が得た、唯一といっていいあたたかな時間。本当にありがたかった。と同時に、知らないひとがたくさん病室にきて、もっとお父さんの人生に、興味をもっていればよかったなぁと、また反省した。そして終末期。亡くなる前の最後の1週間。お父さんは寝ていたと思ったら、20分に一度くらいの頻度で、なんども起き上がってトイレに行きたがったり、立ちたがったりした。看護師さんいわく、「痛みではないけど、からだがつらくて、どうしようもなくなって、じっとしていられないんです」とのこと。この時期は本当に苦しそうで、見ていてすごく辛かった。お父さんは、「はやくあの世に行きたい」と漏らしたこともあった。泣けた。お父さんにこんなことを言わせるがんが、本当に憎くて憎くてしょうがなかった。そして、家族で話し合って、鎮静剤をうつことにした。この決断は涙なしにはできなかった。鎮静剤をうてば、お父さんは少し楽になる。でもそれは、死をはやめることにもつながるかもしれない。苦しい決断だったけど、もう限界と思えて、終末期に入ってから4日目に決めた。その週末は、父を囲むようにしてみんなで病室で話しながら過ごした。日曜日、兄と私は、明日からどうするか話した。もう自宅を離れ、会社を休んで1週間になる。仕事が気になるし、兄は嫁とこどももいる。何か力になれることもなく、頑張れることもなく、まるで父の死を待っているかのような状況に、だんだん耐えられなくなってきた。でもいつどうなるかわからないし、いまそばにいないと後悔する。すごくジレンマだった。夕方、見舞客がみんな帰って、私は飛行機の空席照会を一応眺めたりしていたそんなとき、本当に急だった。急に呼吸が浅くなって、病室に看護師さんが入ってきた。医療ドラマでよくみる、心電図の色がかわって、音がかわって。数字は「0」になった。そして10分もしないうちに、父は息をひきとった。家族がみんな近くにいるときだった。お父さんの瞳はあいていた。お父さんの最後の瞬間、あの大きくて丸いタレ目に映ることができた。それだけが救いだった。まるで、わたしとお兄ちゃんの負担を考えて、みんながいれるタイミングにしてくれたかのような。そんな最期だった。それからばたばたと退院、通夜、葬儀。身近な人が亡くなるのは、母方の祖父がなくなった25年前に経験して以来だから、当時6歳。全然覚えてなくて、こんなにすぐで、こんなに大変で忙しくてこんなに辛いんだと、全てがはじめての感覚だった。いちばんつらかったのは、やっぱり火葬場。骨になったお父さんを見たときは、衝撃だった。あぁもう本当に会えないんだ、とおもった。こんな形になっちゃう前に、できることなかったのかな!?てか、誤診だったらどうすんの!?もしかして、あの時まだ息があったかもしれないじゃん!!なにも、焼くことないのに!!と、わけわからないことまで頭に浮かんだ。覚悟してたつもりだったけど、「死ぬかもしれない」と、「死んだ」は、ぜっんぜん、ちがう。そんなつらいなか、いろんなひとに救われた。近所のひとがたくさん来てくれて、泣いてる人もたくさんいた。お父さんが、周囲のひととの関わりを、いかに大切にしていたのかがわかって感動した。くわしくかけないけど、え?そんな人からも!?と思うような人からも香典が届いた。改めて、お父さんはすごかった。お父さんとはほとんど会ったことがなかったけど、昔から付き合いがあるわたしの親友にも、亡くなったことを連絡したら、通夜に来てくれた。一緒に泣いてくれて、その優しさが嬉しかった。通夜振る舞いでは、会ったことない(会ったのを覚えていない)父の従兄弟も来ていて、色々話した。みんな優しいひとだった。楽しかった。なんでこの場所にお父さんがいないんだろうって、またかなしくなった。今まで、親戚づきあいとか、正直ちょっとめんどうだったわたしは、皮肉にも、いまになって、「こういうのって、いいな」って思った。ばかやろうだ。本当、皮肉なことに、今回のことで、私たち家族の絆は深まった。兄と妹とも、喧嘩せず、疎遠にならずこれからもやっていきたいと思ったし、お母さんのことは、お父さんにできなかった分、大切にしようと思った。ステキなひとと結婚して、安心させてあげたい。子供をうんで、孫を抱かせてあげたい。将来お母さんが孤独を感じないように、できることはしてあげたいと思う。そして、わたし自身の生き方について。まずは健康に気をつけようとおもう。食べることは趣味でもあるから、楽しみつつも、配慮して。運動はもっと習慣化して、病気にまけない体をつくる!がんは、頑張ったら防げる病気じゃないって、今回のことでわかった。でも、とにかく今は頑張りたい気分なんだ。父はがん専門の病院にいたから、いる患者さんはみんながん。フリースペースにいくと、ひとりぼっちのおじさん、家族と話して涙するおばあちゃん、わたしと年齢がそんなに変わらなさそうな、小さい子供を連れた若いお父さん・・・いろんなひとがいて、胸が痛くなった。同時にわたしはツイッターも始めて、がん患者やその家族のツイートをたくさん見た。本当にびっくりするくらい若い人、信じられないくらい元気で前向きなひと、いろんなひとが闘っていることを知った。なんかすごく励まされて、これまでじぶんがいかに、病気を他人事だと捉えてきたのか、いかに無意識で毎日を過ごしてきたのか、思い知ったな。お父さんが亡くなって、本当にすごくさびしくて、いつでも涙がポロポロ流れてきて、でもなぜか、いますごくやる気がある。お父さんが教えてくれたこと。すごく月並みだけど、本気で、毎日を大切に生きよう、後悔しない人生にしよう!と、いう気持ち。お父さん、生きられなくて、悔しそうだった。お父さんの無念は、わたしが絶対晴らす!めちゃくちゃいい人生にしてやる!もう31だけど、絶対幸せになることを諦めない!離れて暮らして、年に2回くらいしか会わなくなったお父さん。あのときより、今の方がお父さんをすごく近くに感じる。何かあるごとに、「お父さんがみてる!」って思うようになった。怖い意味じゃなくてね。笑だから、お父さんに見られても恥ずかしくない生活、仕事、恋愛をしていこうと思います。2020年、めっちゃ頑張りますわたし。という決意表明はまた改めて具体化するとして、とりあえず年内に気持ちをまとめられてよかった。。。(まとまってないけど。長くなりました、もし読んでくれた人がいたら、長文失礼しました。。。ここまで自己満な記事もなかなかないよね・・・さて、もうすぐ新年だ。長い休暇でもあるので、じっくり自分と向き合っていきたいと思います。ブログももっとかくぞー!w