見えたり隠れたり―in and out+♡ | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)



今日の帰り道。

てくてくと。

2011年から始めた
Twitterで何年も

もう辺り構わず
何でもかんでも
心が動いた先から
写真を撮り続けてきて。

空や花々や雨粒
不思議なもの
面白いもの
好きな雑貨や
人や子供や野良猫さんや
ありとあらゆる好きなもの。

大切に一枚一枚
心の言葉を添えて。

地面に這いつくばって
ひび割れたコンクリートの隙間に
入り込んでいたガラス玉を写して
大層な心の想いを添えたこともありましたワラ★

英文を貼ったり
またいつか好きなように
加工を施して使えるように
元画像も大切に残したり。
直ぐにフォルダやSDが
満タンになってしまうし。

絶え間なくあちこち心が動いて
散漫になり
落ち着かなくなったり。

それはそれで夢中で
楽しかったし、
感覚は鍛えられたように思います。

最近はやたらに何でも
無理矢理撮らないで
一枚一枚大切に撮る方向に向いていて。

でも今日はたまにはと
何の心境の変化か
むくむくと本来の野放図が湧いてきて
目に映るものあちこちに心が動く。

空を見上げて
久し振りに雲が綺麗で。

車の通りを確認しながら
良い角度を探して夢中になり、
ついつい道の真ん中まで侵入していて
通りすがりのタクシーの運転手さんに

道の真ん中で
撮らないでくれませんか?
撮らないでしょう?普通。

とお叱りを頂き
大変申し訳ありませんでしたと。

久し振りに
そんな夢中で楽しい
帰り道でした。

随分長い間頑張って咲いている
スミレ。

何という花でしょう?
終わりそうに
それでも懸命に咲いて。


2012年頃からまるでそれが
私の真骨頂かイメージ画像のように
写り込んできたラインと空。
久し振りに。

まるで繋がっていないと
生きていけないようにして
空中に無数に張り巡らされたライン。

その隙間から
私は空に手を伸ばして。



美しい三日月が
雲に隠れたり出たり。
出たり隠れたり。
この直後でした。
タクシーの運転手さんに
お叱りを頂いたのは。
すみませんでした。 






落下していくように。
黒い点が飛び。
恐らく
私はそこから点にも見えない。
蠢く微生物でしかないのだ。

白くて可愛らしい
ガクアジサイ。ほっとして。
紫がかって観えますが真っ白。



これは勤務先駅付近。
まだ明るい日差しに
キラキラと光輝いて。
風に揺れて。
もうずっと前から
気になって気になって。

でも車道なのでタイミングが難しかった。

今日やっと撮れて、にやにや。

何の綿毛でしょうか?



辺り一面光に照らされて
眩しいくらいにキラキラとして。
まるでキラキラとする為に
咲いているみたいに。



他所様から視たら
他愛ないささやかな暮らしの中の 
小さな小さな
私のHAPPY♡

いいんじゃないかな
と想う。

何があったって

今日空を見上げて
三日月が綺麗だなあと想えたら
それでいいんじゃない?

卓越達観の序章ワラ★、、

他愛もない卓越ワラ★、、

検査が何もなければ
また直ぐ崩れるほどの。

誰?

私のもう一人の。心。


ハート画像一覧は障害中につきこちらへ。




       ピンク薔薇

今日も一日お疲れさまでした。

腸腰筋と大腰筋をワラ★

揉みほぐしながら何とか一日。

揉みほぐしてはいけなかったら
どうしようとか怖ごわ。

冷静に考えれば体力勝負の
ハードな仕事。
大腰筋腸腰筋腸骨筋他
毎日毎日一日中筋肉を使いまくり。

筋肉が疲労して 
加齢と共に悲鳴をあげても
ひとつもおかしくはない。

その辺りかなと思ったり。
おじいさん先生が簡単におどかすから。

次の総合病院での検査の時は

一切告知は受けません。
万が一の時には
最大限痛みがなくなる治療で
自然○希望。

と前置きしようかなと
真剣に想ったりワラ★汗

怖いでしょう?普通。

それだけで寿命が縮まるような。

いつ何があってもいいように
その為に一日一日大切に
生きてきたんだから、

その継続がいいなと思ったり。

何でもいいやと想ったり。

色々。

お身体一番に大切にされて下さい。

最高のリラクゼーションと
優しい夜を☆

明日また
素敵な一日になりますように。

おやすみなさい☆



HAPPY!ニコちゃんクローバーハート

春風

好

今日はたまったお洗濯を
頑張れました。
少しだけです汗

少しずつ頑張ります。


告知については
以前「命」という記事にも
描きましたが、
次兄の時に、気付いて手術した時には
既に見込みがなくて
余命の告知は一切しないと
私が決めて。

最期の最期まで笑って
一番嫌いな嘘をつき続けました。

兄は最後の再入院するまで
ずっと幸せそうに笑っていたし
余命の3倍元気に過ごしていました。

薄々体調から
自分で徐々に気付くだろうことは
誰が考えても明らかで

それでも笑って
大丈夫治るよと言い続けて。

自分で少しずつ
疑心暗鬼を抱えながら諦めていた様子。

でも、最期まで笑っていた。
幸せそうにしていて
私には「ありがとうな」と
ピースサインを残して、

最大限痛まない治療で、
旅立ちました。

兄の中で何かしたいことがあって
余命を知らせた方が良かったかどうかは
私には判らないし
最期まで諦めないで
笑っていて欲しかった私の
エゴでしかなかったかも知れない。

でもいつも幸せそうだったことが
一番救われて。

ふと今日それを考えて
万が一最悪の場合には
告知は受けたくないなと
そう想って。

どのみち、
既に余命20年だからワラ★
若くはないということは
進行も緩やかとなるでしょう。

ならば知りたくないなとか。


何でもなかったらごめんなさい。



ハート補足
告知については私個人の気持ちであり、それを強要するものでも、今現在完治に向けて頑張って闘病されておられる方々への疑心暗鬼を植え付けるものでもありません。どうかご家族のお言葉やお気持ちを精一杯信じて差し上げて安心して克服されて頂きたいです。

もし仮にやり残したいことがおありで真実をお知りになりたいご事情がおありでしたら、その旨ご家族に予めお伝えされても、私はそれもひとつの人生で有意義だと想っています。

生意気かも知れませんが。

長い短いに関わらず、お一人お一人大切な一生、大切な人生、大切なかけがえのない命ですから。