自分のことは嫌いですが、やっぱり好きなものだと思います。
心底自分という人間が最悪なものに思えて仕方がない時が、やっぱり人にはあるものなのではないでしょうか。
死ぬほど嫌いな自分がいても、それが嫌だと気付いた時点でラッキーなのだと思うようにしています。
例えば、性格の問題だったらすぐにイライラするだとか、人に流されがちだとか、そういうところって直すというよりは「そうじゃない人間」を演じる、という風にしているんです。私みたいに汚くてだらしなくてどうしようもない奴じゃなくて、もっときれいで可愛くて、気が利いて……そういう、理想的な人に自分はなれるんだ、と思うとなんだかポジティブになれると思うんです。
汚いところ、嫌いなところ。隠蔽です。
コンプレックスを隠して、本当の自分を偽って、そういうのってやっぱり自分の「本当」ではないよ、って言う人もいると思いますが、それでも隠したいと思うのだって自分なのですから、隠してしまってもそれは本当の自分なのではないでしょうか。
嫌いなら隠してしまえばいい。
言いたくなければ言わなければいい。
それが正しいと思わないのであれば、本心をこっそりと自分の奥底に閉じ込めて嘘をついてしまえばいい。その程度の嘘ならば、何度だって吐きます。
本当の自分じゃないけど、隠してきれいになった「本当になりたい自分」であること、それが私の中で自分を見放さない、「苦しくて楽しい生き方」です。
でも定期的にごみは吐き出さないと汚くなってしまうので、そうなったときは余った紙の裏にでも書きなぐりをするんですよ。
きれいで正しいおんなのこは楽ではありませんが、気持ちのいいものですよ。
他人との約束を守るのは苦手ですが、自分を守るための約束に縛られるのは大得意です。そういうのがたぶん苦しい。でも、自分はきれいだったほうが人生は楽しい。
いつだって苦しくて楽しくあれますように、今日も私は嘘吐きです。