先日、12月3日(土)東京海洋大学に初めていって参りました。

京葉線の越中島が最寄り駅となります。
その名のとおり、海に面した場所に位置している大学です。
私は地下鉄の月島駅から橋を渡り、歩いて伺いました。

あいにくの雨。
しかし、行かなくてはならない。
私の俳優デビュー作のロケが行われる場所だから…。

放送前なので、詳細を明かすことは出来ませんが、撮影はオールアップしてるようですので今回のロケの事、少しばかり書かせていただきます。

この日の四日前、とあるドラマのHPを見ていましたら、エキストラを一般公募していることが分かったんです。
まあ、俳優デビューというのは、実はエキストラ初参加のことなんですが…(笑)。

私、女優のK仲涼子さんが好きなもので、K仲さんが出演しているこのドラマも、いつものように毎回観ておりました。
それで、ちょっとHP見てみたという流れです。

そこでエキストラ募集の日が仕事休みと重なっていると知りました。
もしや、K仲さんと共演出来れば嬉しいことでもある。
参加資格は20~40代位の男性。
集合場所は都内(詳細はお電話にてお伝えします)。
場面内容、刑事たちとやくざ組員たちとの戦い。
衣装に関しては、お電話でご相談させてください。
お弁当あり。

条件に不足なしです。
応募フォームに必要事項入れて送信です。

参加できても、できなくても、やらない後悔よりやる後悔ってことで。
ちょうどロケ日に当たる日は、三連休の中日で、連休に予定も入れてなかったし。

あとは、前日までの電話連絡待ち。
あくまでも抽選の上、当選した方のみ電話連絡ということでした。

そして、前日。

電話は来ない。

明日も天気悪そうだし、電話ないし、こりゃないな。

かえって体休まるしって、応募しといたくせにホッとして、のんびりモードになったのもつかの間。
ケータイが鳴っちゃいました。

担当の女性の方からです。

「明日、大丈夫ですか?」

「休みなので大丈夫です。」

「撮影は越中島の海洋大学です。昼、弁当は出ます。明日も天気が悪いので、撮影時間はまだ決定してません。服装についてのご相談もあるので、もう一度電話させていただきます。」

一時間後にまた連絡があり、集合時刻についてとヤクザっぽいスーツか柄シャツを着てくるようにとの指示がありました。

ヤクザっぽいって…そんなのあったかなぁって思いながらも、鏡の前であれこれとファッションチェック。

なんとかそれなりに見える格好に。
でも、絶対にこんな格好では外は歩けないというガラの悪さに我ながら閉口。

一方、普段出来ない格好だからこそ、なんだか楽しくもなってきちゃってる自分もいました。

初めてのドラマのエキストラ。
不安と恥ずかしさもありたしたが、自分であって自分でないそんないでたちが恥ずかしさをも覆い隠してくれるって感じました。
もう、なりきるしかありません!

そして当日。
東京海洋大学へ。

待機場所は教室の一室。
70名程が集合。
なんじゃこりゃの強面、コワいお兄さん勢揃い。
でも、皆さん礼儀正しいんだよな(笑)。

インターネットからの一般公募は数名だと現場に来てから知りました。

あとはプロの役者さんか、エキストラにパイプのあるところからの派遣なんでしょう。

私みたいな素人が務まるのかという場違い感も芽生えましたが、ここまできてしまったからには、あとはなりきるだけです。

スタッフさんから、黒板に今日の撮影シーンの設定説明があります。

撮影日は今日しかとれないので、天気は悪いですが雨の止み間を見計らいながらの撮影になりますが、ご協力お願いしますとのことでした。

カッパ羽織って、いよいよ現場での軽い打ち合わせです。

鉄パイプや木刀やドスが各々に手渡されます。
まるでふがしのような手触りで柔らかで軽いダミーです。

安全面への配慮ですね。

他にも、待機室や廊下には各所に使い切りマスクや消毒液が置かれ衛生面にも配慮がなされている現場でした。

待機室に一度戻り、待ってましたのお弁当が支給されます。
ポパイさんのお弁当はとても美味しかったです。

さて、いよいよ本番です。

雨も止んできました。

一連のシーンでも、何カットにも分けて撮っていきます。
納得できるまで修正しながら撮っていきます。
時には、俳優さんがこうした方がいいのではと意見される様子もありました。

単なるエキストラの身である私でしたが、OKがでるとホッとします。

演じる側のみならず、スタッフさん方も良い作品にするべく、それぞれの持ち場でやるべきことをしっかりとやっていると感じました。

だから、気も引き締まります。

皆が、完成すべき作品に向かって同じ方向見てがんばってる。
そんな感じがしました。
そんな現場の雰囲気だから、有名な俳優さんを見てもミーハーな気持ちはほんの一瞬だけです。

舞い上がってしまうことはありませんでした。

エキストラながら、自分の持ち分を果たして一つの作品をつくっているんだ!

自然とそんな気持ちにさせられました。

本当に現場では有名俳優さんに対しても、上下の引け目みたいなものは全く感じなかったかったのは予想しなかった感情でした。

現場では皆対等です。

もっと高みの見物的なエキストラ参加になると思ってたんですけどね。

得難い経験をさせてもらいました。

エキストラ参加に際しての注意事項に、出演者へのサイン、握手、撮影は固くお断りしますとありましたが、言われなくてもよい作品にしようと思えば、そんな行動はとれるはずもないのです。

さて、主演のS野崎謙くんは主役オーディションで2700人から選ばれたという全くの新人俳優さんです。
立ち姿が美しくスーツが決まっています。
アクションシーンも飲み込みよく、様になっていました。
やはり、選ばれた人だけある。
しかも、キリッとした表情も笑顔も魅力的な好青年です。
ファンになっちゃいました。

E藤憲一さん。
凄みが物凄いです。
存在感が恐ろしいほどです。
私の目を見てセリフを言ってくれたときがありました。
いい思い出になりました。

婦警さん役の御三人(お名前は失念してすいません)は、とても可愛らしかったです。

アクションされる俳優さんたちの凄さも分かりました。
テレビで見てる分には、さほど難しいことには見えなくても、ケガさせてはいけないながらも本気に見せないとならないし、動きを覚えるのも素人じゃムリだってわかりましたから。

2時間半ほどの撮影は終わりました。
皆さんお疲れさまでした。


放送日です。
12月18日(日)夜11時15分から。
テレビ朝日系・ドラマ『俺の空 刑事編』の最終回です。

動きのあるシーンだから、自分がどこにいるかは自分にしか確認できないでしょう。
絶対映るという保証もありませんが、楽しみに待ちたいと思います。


以上、微力ながら番宣も兼ねてのエキストラ初体験記でした。
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五年前の今日は、入院中のベッドの上で、ちょうどその頃開催中のトリノ五輪をテレビ観戦しながら、入院も悪くないなと思い始めていた退院を翌日に控えた陽光に春の兆し感じる2月20日でした。

そうはいっても、のほほんだけな入院生活であった訳でもないのです。

東大には入学できなかったけど、入院はできたぞっ!なんて空威張りしたくなる程、天下の東京大学で入院・手術を受けることになったのは心強くはありましたが…。

東京大学付属病院。
本郷三丁目駅下車、徒歩10分。
上野公園、不忍池に隣接する東京大学構内にあります。

物心ついてからは、初めての入院。
そして、初めての全身麻酔、手術。
入院期間は一週間余りでしたが、不安いっぱいの入院生活でした…。


始まりは、前年の職場の検診結果から。
胸部X線で陰影あり。
胸膜癒着肥厚の所見。
要精検。

しかし、数年前からその所見は検診結果の度に記されていました。
そして、痛みという自覚症状もありました。

陰影の示された部分と痛みを自覚していた部分は一致していました。

でも、診察を受ける程の大事とは受け止めていませんでした。

それは、痛む箇所は肋骨だったからです。

痛みは1ヶ月もすると、治まっていました。
多分、軽い骨折でも起こしてるからだろうと思っていました。

肋骨は数本が平行に走っているので、一本が折れても他の肋骨が副木代わりのようになっているので、自然治癒しやすいと聞いてましたし。

肋骨骨折なんてよくある話と、年に数度起きる痛みを深刻にとらえることはありませんでした。

ただ、この年は要精検の文字が付されていたことと、胸膜だとすると肋骨というよりは肺の症状が考えられるし、とりあえず不安をクリアにするため、近くの総合病院の呼吸器科を受診することにしました。

入院前年の秋まだ浅い10月のことでした。

肺の自覚症状なんてこれっぽっちもなかったのですが、結核の自然治癒した痕がX線写真に影として映ることもあるらしいというのはさすがに不安から調べたネットで得た知識だったのですが、最悪でもそんなもの。きっと、治療の必要はないですよと言われると思っていました。

待合室で順番待つだけで疲れちゃいます。
早く結果聞いてハイおしまいで早く帰りたいって思うばかり。
どうせ大したことないんだからって。

でも、そうはいかなかったんです…。

X線撮った後、医師の所見聞きました。

検診結果や症状を踏まえてのことばは…。

中皮腫ということも考えられる。

肺の胸膜にできる腫瘍ですね。

腫瘍って言葉は重いです。

もっと詳しい診察が必要になりました。

11月になり、職域系総合病院の呼吸器科を改めて受診することになりました。

毎週のように通って1ヶ月半。

治療のためではなく、検査の為だけに。

胸部X線はどれだけ受けたことか…、被曝が気がかりなくらい。
他にも、エコーにCTに骨シンチ…。
いずれも非侵襲的検査ではありますが、気が滅入ります。

そして、ようやく下された診断は…。

肺の症状ではないようです。

…でした。

つまり、肺ではないということは、骨に病変があるということなのでした。

そして、我が病院の整形外科は骨の腫瘍に強くないので…と、紹介されたのが、『東京大学医学部附属病院・整形外科』であったのです。


そして、12月中頃より東大病院へ通院が始まります。

数度の通院・検査を経て出された結論は…。

左第6肋骨内部にウインナー大の腫瘍がある。
ただ画像診断だけでは、腫瘍の性質(良性か悪性か)がわからない。
そこで、組織検査を要する。
ただ、穿針による生検では、腫瘍組織が悪性のものであった場合、穿針の影響で周りに腫瘍組織を伝播させてしまう恐れがあるため、切開による生検手術を全身麻酔管理下で行う必要がある。

そのための入院が必要となったのです。

腫瘍組織が骨の内部で増殖し、骨の表面が薄くなり脆くなった結果、骨折し痛みが引き起こされていたのでした。

入院の時期については、早いに越したことはなかったのですが、仕事との調整もあり、入院・手術は年が明けて2月半ばからと決まりました。

しかし、ここまででやっと病変のありかがわかっただけで、病名がわかったのではありませんでした。

やれやれです。

2ヶ月間、毎週のように検査のためだけに、電車を乗り継ぎ病院通い。

休日はそれでつぶれるし、通院するごとに募る不安。

疲れ果てちゃいました。

手術は万全の体制で臨む。
整形外科のみならず、呼吸器科の医師とも連携をとり行うとの話には心強いものがありました。

ただ、医師の務めとして最悪の予後を患者に伝えるのでしょう。

悪性の場合、検査手術から日を置いて、広範囲の切除手術の必要性が出てくる。
さらに、ゴアテックスを利用しての、皮膚の再建手術も予定される…。

予後良く、命を取り留めたとしても、これまでのような健康な生活の質は望むべくもありません。

障害を抱えて生きていくことになります。

最悪の場合を言っているのでしょうが、眠れない夜もありました。

ただ、画像上の腫瘍像やここ何年も痛みの症状がありながらも衰弱していないこと等を考えると、過去の症例からみて、良性腫瘍である可能性が最も高いということでした。

そして、悪性ではないかという一抹の不安を抱きながらも、たぶん良性に違いない、そう思いたい。
そんな、気持ちで入院を迎えることになるのです。

しかし、入院準備ってちょっとした旅行の荷造りするくらいめんどくさいものでした。

さて、入院・手術に関して記すには、あまりにもたくさんのことがありすぎて書き切れません。

次回ブログで、私が感じた入院して良かったこと悪かったことをまとめてみたいと思います。


さて、退院して約一週間後、生検の結果、つまり良性か悪性かを聞きに、再び東大病院へ。
回復具合みるため、通院毎のCT撮影は必須です。

ようやく言い渡される、病名です。
ここまで長かったです。
一切、治療はなかったんです。
すべてが検査の丸4ヶ月でしたから…。

病名「線維性骨異形成」。
良性です!

とりあえず、安心です。

手術時は、腫瘍が大きくなり骨の表面に穴が開いていたそうです。
骨折しやすいはずです。

でも、できた場所が肋骨でまだよかったのかもしれません。

これが、頭蓋骨の奥の奥だったりすれば、手術不能で脳が圧迫されて、たとえ良性腫瘍であっても予後不良ということになりかねなかったでしょうから。

さて、ここからが治療と思いきや、あとは正常な骨の組織が腫瘍の取り除かれたところを埋めていく自然治癒を待つだけとのことでした。

よって、しばらくは定期的に通院し、CT画像により骨の回復を経過観察です。

骨が再生しないときは、人工骨補填手術が必要になるのでした。


翌年。
手術から、丸一年経つ2007年2月。
無事に東京マラソンを完走。

誰にでもなく、自分自身に復活をアピールしました。

そして、同じく2月、担当医師より今後は定期的な経過観察は不要のお言葉。
痛みの出たときに来てくださいとのこと。

実質上の完治宣言です。

その後、痛みが出てあせったこともありますが、手術創がたまたま痛んだ程度なんでしょう。
古傷が痛むって感じで。

結局、闘病記でもなんでもなくて恐縮でしたが、自分の生と死を考えさせられる貴重な経験であった東大病院入院顛末でした。
誰しも、出来ることなら面倒な裁判沙汰等に巻き込まれることなく、平穏に人生を終えたいと思うはずです。
しかし、裁判員制度が導入され、裁かれる側に立つことは無くとも、裁く側には立つかもしれない時代となりました。

裁判が行われるのは裁判所です。

無縁でありたい場所ではありますが、法廷は公開されており、傍聴は自由であることは皆さんもご存知でしょう。

公平公正な裁判は公開されることで実現されています。

しかし、本当に第三者が気楽に傍聴することはできるのか?

折しも、いわゆる「のりぴー裁判」が注目されていた頃、2009年11月末。
東京地方裁判所。
はじめての裁判傍聴。
いって参りました。


最寄り駅は東京メトロ霞ヶ関駅。

正確には裁判所合同庁舎と呼ばれ、東京簡易裁判所、東京地方裁判所、東京高等裁判所が入っている日本で最大の裁判所です。
最高裁判所はここには入っていません。

門の前には、写真や音を録る事やそれを送受信することを禁ずる旨の立て看板があります。

入口・出口や諸チェックを行うところにはガードマンが当然居ます。

入口は、関係者と一般来庁者で別になっています。

さて、一般の入口から入庁です。
空港並のセキュリティーチェックが備えられてます。
バッグとケータイは番号札を渡されて、X線通してのモニターチェック。
人間は金属探知のゲートを通ります。

以上です。

あっさりしすぎてる印象でした。

もっと、バックを開けての視認による持ち物検査があったり、ケータイなんかはモロに注意書きの立て看板にあったことが出来ちゃうようなアイテムだから、一旦預けるのかと思ったら全然そんなことはないのです。

セキュリティーとプライバシーの保護に一抹の不安も感ずるのですが、これぞ敷居の低い開かれし法廷とも言えるでしょう。

これほど簡単に入庁できるとは意外でした。

地上19階地下3階。
北と南にエレベーターをはさんで分かれています。
広いです。

訳もわからぬまま、とりあえずエレベーターに乗って7階へ行ってみました。
いっぱい法廷の部屋が並んでるのですが、大学の研究棟って雰囲気です。
しかし、どこが裁判中の部屋なのかよくわからない。
廊下を歩く人もほとんどおらず、エレベーター内もそうでしたがガードマンの姿も皆無で誰かに聞いてみようにも聞けない。

やっと、もう終わった法廷なのでしょうか、ドアの外の貼り紙を剥がしてるスーツの人(裁判官か事務官かわからないが)がいたので、怪しまれやしないかと思いながらも尋ねてみました。
「社会勉強で初めて来ました。なんでもいいから傍聴したいんですが…。」
「1階の北か南のどちらでもいいので予定表を見て探して下さい。」と、親切に教えてくれたので、1階に戻ってそれらしきカウンターへ。

回覧板のようなボードに公判開廷予定表が何枚もはさんであります。
簡易・地裁・高裁。
刑事・民事。
新・続・決と種類もいろいろです。

もう、午後3時半近くになっていました。

なんでもよいので今から傍聴出来るものをと係りの人に尋ねると、地裁・刑事・新がわかりやすいですよとのこと。

だいたいの公判は開廷が午前10時からで、すでに終わっているのが多いのですが、地裁・刑事・新でまもなく開廷の覚せい剤取締法違反の公判があったのでそれを傍聴しにいくことにしました。

ここからは、内容については詳細に書くことは控えさせていただきます。

被告人が特定されるような表現はいけないと思うので。


法廷には受け付けのようなものもなく、持ち物チェックもなく、途中入退場も自由です。
映画館におけるような公共のマナーさえあれば、ただそれでよいのでした。
構えることはなんらありませんでした。

法廷では立ち見はできないらしいです。
法廷の規模は小さいものから大きなものまで様々でしょうが、私の傍聴した法廷は、正面に一名の裁判官、その前に記述してる人、左側には検察が二名、右側に弁護人一名。傍聴席は12席程。

開廷し、係員二名に挟まれ被告人が入ってきます。
証言台にはマイクもあります。
被告人の足元は話に聞いていたとおりの逃亡防止の為というスリッパ履き。
開廷と閉廷時には、傍聴席も含めて、法廷内にいる人全てが起立することになっています。

この公判は次回で判決が言い渡されるとのことでした。

裁判のやり取りは、特に専門用語もなく、全く難しいものではありませんでした。

証拠品として、覚せい剤のパックが検察から被告に提示されたのですが、覚せい剤の現物を目の当たりにしたのは初めてのことでした。

被告人の生い立ち、職歴、そして事件の経緯には人生ドラマがありました。
こういった点から、裁判傍聴にハマる人はハマるんでしょうね。
虚構のテレビドラマなんかより、実にリアルですからね。

約30分の公判でした。

被告人はこの時点では、あくまでもまだ刑は確定していない被告人です。
そして、私にとっては他人事です。

でも、もし刑に服することがあるならば、そして娑婆にでてくることがあるならば、再度手を染めることなく、ささやかでも幸せに生きていってほしいとしみじみ思ったのでした。