明けて2日目。
朝風呂です。o(^▽^)o
長い廊下を通って~
長い石段を登って~(;^_^A
やったね!朝からリンゴ風呂。
リンゴ浮かんでます。(^^ゞ
良い香り。
こちらが脱衣場、お風呂はすぐ隣です。
露天風呂。
温泉はやや茶褐色ががった透明の柔らかいお湯です。
彼方に千曲川。
秋も終わりですね。
お部屋に戻って、窓の外にある銀杏の大木から風に吹かれてはハラハラ落ちる葉っぱを眺めていたら、(お部屋が二階なので真横に銀杏の木があります)
風が吹くのも銀杏が散るのも、藤村の生きた時代よりずーっと大昔からの繰り返し。
風が吹いて葉っぱが散って何にも無くなって、それが翌年また新しい芽吹きがあって緑の葉をつけ、
また紅葉してまた散っての繰り返し。
そんな中の何十年かの年月を生きる、私も藤村もこの一枚の銀杏の葉のようなもんだ、と思い。
「受け入れる」という言葉が浮かんで来ました。
自分の人生を受け入れる。
あの人より素晴らしくはないかも知れないけれど、
自分の人生なのだから。
「受け入れて」時には気を緩めて流す。
これが、結婚して初めての一人旅のお土産かなと思いました。
藤村はまた、千曲川の流れを見て、明日の事であくせくして今日を大事にしないのはどうか、と言うような事を詠んでいて…。
それは結局、今生きる時間を大切にする、という所ではないかなと思います。
「椰子の実」の歌詩の最後は、いずれの日にか国に帰らん。と結んでありますが
若き日の柳田国男から、愛知県の知多半島の恋路が浜にたどり着いた椰子の実の話を聞いて作られたとされるこの歌は
実は故郷を離れて転々と流浪する藤村の、故郷への思いであり、ひいては人生の長旅に重ねて、
帰る所は来た所。
永遠の問いである、私たちはどこから来てどこに帰るのか・・・
それが、
「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」
の三行の詩に込められた藤村の答えなのではないかと思いました。
さぁ、リンゴ風呂から大層な話になってしまった。
まだ朝ご飯前なのに~